とことこ編集者雑記

49歳バツなし独身乙女座A型トイプー双子姉妹6歳と同居

初恋の人を追悼

自分は昭和43(1968)年9月生まれ。
1973年4月発売のジュリー「危険なふたり」の記憶はありませんが
1974年5月発売のヒデキ「激しい恋」は振り付けと共に
リアルタイムで覚えています。というわけで、成人に至るまで
続く記憶の扉は5歳の時にに開いたようです。お祭りの夜店で
ヒデキの写真が貼り付けられたペンダントを買ってもらったのは
鮮明に覚えています。

阿久悠チルドレン世代(阿久悠は父よりひとつ年上)でもあるのですが
人生で最初に歌詞に感激したのが、やはり西城秀樹が76年2月に
リリースした「君よ抱かれて熱くなれ」でした。
阿久悠が手がけたヒデキのシングル初作詞にあたる曲です。
Cメロ「愛は人の前を~」からの旋律がまたドラマティックでねー。
一方、同年8月にジュリーは「時の過ぎゆくままに」を皮切りに、
阿久悠作品を歌い始めます。
ちなみにこの曲はドラマ効果も相俟ってか
勝手にしやがれ」を僅差で押さえ、ジュリーのシングル最大売上です。
以降、ほぼ同時期に2人は阿久悠作品でシングルをリリースしていきます。
とはいうものの、ジュリーは「OH! ギャル」への感想が有名ですが
「僕は正直に言って、阿久さんの詩はあまり好きではなかったんです。
カッコ良すぎる、はっきり言いすぎると思っていたんです」と
公言しています。出典・重松清「星をつくった男 阿久悠と、その時代」。
発言自体は92年刊行「阿久悠 歌は時代を語りつづけた」に寄せた
コメントです。当時、阿久悠55歳、ジュリー44歳。
まだまだこれから一緒に仕事するかもしれない時期に、
確実に阿久本人が目にする場所で、この発言。
結構すごくないですか。ジュリーらしいと申しましょうか。
このコメントの後に「だから化粧やコスチュームで、強い詩に負けないように
切磋琢磨して、みんなの思いがうまくかみ合った」と続きはするものの。

今日の本題。
ヒデキはこういう時に出てくるコメントが優しいです。
「確かに言葉だけを見れば押しつけがましいフレーズもあるんですが
メロディーに乗るとロマンになるんです」と言い、
沢田研二さんと僕は、阿久さんの中ではシャープとフラットの
関係だったんじゃないですかね……」(同じく「星をつくった男」より)。
このとらえ方は、とてもステキだと思います。
ジュリーと背中合わせで、男性シンガーとして時代に対峙していたのは
他の誰でもなく自分なのだという自負もあるんじゃないかと思えます。
※このあたりの記述は講談社文庫「星をつくった~」P283あたりからどうぞ。
ジュリーは1948年、ヒデキは1955年生まれなので、同世代と言うには
やや年齢に開きがあります。2018年に振り返ると、初のレコ大連覇すら
取り沙汰されたジュリーに対して、ヒデキは大勝負の場でてっぺんを取ることが
少なかった。「ザ・ベストテン」で2週連続9999点は取れても、
紅白のトリは回ってこなかった。ジュリーがレコ大を取った
77年から3年後。80年12月に「スニーカーぶる~す」を世に出し
オリコン始まって以来の「デビュー曲で初登場1位」という
偉業を打ち立てたマッチ(64年生まれ)の登場で、歌謡曲シーンが
完全に世代交代します。一方、聖子デビューと百恵引退も80年。
比べると、男性歌手は難しい展開だったなぁとしんみりします。
のきんブームの80年にヒデキは25歳。演歌勢がまだ
ヒットチャートに健在で、年嵩の彼らよりも早く
「居場所」を追われてしまったかのような。
アイドル寿命を延命させたという評価が定まった感のある
SMAPは2トップが26歳の時に「夜空ノムコウ」をリリース。
以降「世界に一つだけの花」までの5年間が売り上げや人気の
ピーク時かという印象。全般的に、昭和のポップス歌手、はかなすぎる…。
GS時代から通算すると15年近く、トップ10にランク入りし続けた
沢田研二の別格感たるや。また、21世紀に入ってからも
耳目を集めるヒット曲を叩き込んだ郷ひろみ
驚異的なタレント力についても、また機会があれば。

そんな中で思うのは、ヒデキは記録よりも記憶に残るシンガーだったと言うこと。
その証拠に、特にバンド系ボーカリスト
フォロワーを多く生み出したこと。
歌番組から姿を消して久しかったですが、ネットの書き込みなどで
後世のシンガーへの影響力に触れている方が大変多く
「そうだよね、みんなヒデキをよく知っているよね」という気持ちに
なりました。最後に、目立たないシングルですが転調が飽きさせない
「エンドレス・サマー」(冷夏だった80年リリース)の再評価希望と
「やはり、阿久悠連作のラスト曲、ブルースカイブルーで
レコ大取ってほしかった」と書き残して、この項終わり。

森高千里は1990年にセクハラパワハラをテーマに作詞していた

表題がすべて。以下余談。

1987年にデビューした森高ではありますが
初年度は雌伏の時、2年目を迎える直前の
4thシングルから自作詞でのリリースに方向転換。
デビュージャスト3年目となる1989年5月25日の
7thシングル「17才」のカバーがスマッシュヒットするも
再び自作詞に回帰。表題のタイトルは「のぞかないで」。
10thシングル「臭いものにはフタをしろ!!」のc/w。
「怒りソング」の源流も源流でしょう。
リリースはジャスト4年目となる1990年5月25日、
当時21歳です。1990年「森高ランド」ツアーの1曲目、
シングルリリースの前にライブで公開(観に行きました!)。
c/wであるがゆえにテレビでの披露もなく
「森高ランド」ツアーそのものが、長らくDVD化されなかった
幻の音源だったので、当時からのファン以外では
あまり知る人が少ない楽曲だったのではないかと思われます。
25周年セルフカバーもやってますが
期間限定公開のリアルタイムバージョンをどうぞ。
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00107/v09610/v0947100000000538667/

これぞセクハラパワハラに遭った女子の偽らざる心境。
歌詞を探していただければ、2番の
「名前言わないだけでも感謝しろ(JASRAC避けのため意訳)」
「死んでもおまえだけには のぞかせない」と
強い語調の裏に、どんな目に遭ったかが察せられ、悄然となります。
自分は当時大学4年生でしたが、
通学でチカンに遭ったりとかしていれば、
おおよそのところで共感不可避。当時は
「いいぞいいぞ、言え言え森高ー!」という気持ちでしたが
(森高は私のひとつ下)、2017年において21歳女子というと
ももクロのあーりんや、須藤りりぽんだったりするのですね。
娘の年齢だわ。子供いないけど。
りりぽんは「物言うタレント」にシフトしてますが
あーりんが自作詞で「のぞかないで」的な楽曲をリリースしたら
「こんなに若い女の子が、なんてヒドイ目に遭ってるの!」と
心を痛めることでしょう(筆者は現在49歳です)。
こういうことが続いてはならないです。本当に。

森高さんが「独自の展開してるなー」と思うのは、
自作詞やドラム演奏と、音楽面ばかりクローズアップされがちですが
前段として、デビューからの下積み時代に
マジで水着の写真がほぼない。画像検索しても
ポカリスエットオーディションの時のワンピースの水着姿(レオタード?)だけ。
「非実力派宣言」(89年)所収の「はだかにはならない」が、
当時の心境を歌にしたものだそうで。
デビュー直後から完全にアーティスト路線に振り切れば、
たとえば渡辺美里(森高の3歳上)に水着写真のオファーが殺到する可能性は
考えにくいですが、森高には実際にあったわけで、「だが断る」と。
そう思えば、特に意外でもない結果なのかもですが
「横位置のポスター」も、本当にないです。
美脚を生かすアングルの結果、でもあると思うんですが
「砂浜で寝そべって上目遣い」みたいな絵が絶無。
「円形で、どこを上にして貼ってもOK」という謎な凝ったポスターは作ってんのに
(確か「非実力派宣言」ライブVHSの付録だったと思います)。
「17才」(89年)では見せパン着用でパンチラ辞さず、と
相当際どい橋を渡りましたが、振り返ってみると
ブレイクスルーとなった、その1曲のみ。

奇しくもデビュー30周年となった今年、91~93年のライブを
パフォーマンスごと完全再現してみせて、新旧ファンから
絶賛されたことも記憶に新しく(参戦できず、不覚…)。
そういったライブアクトや、スキャンダル無縁の
芸能活動をたどってみるにつれ、森高の「ハートの強さ」には
脱帽します。すごいです。とはいうものの詞を追ってみると
深謀遠慮の末というよりは「やりたくないことはやらない、
その代わり、やるべきことはやる」というシンプルな
行動原理に基づくがゆえの結果なのかな、という気もします。

「私がオバさんになっても」(23才で作詞)と
今の美貌がクローズアップされがちですが、
森高が作り出した楽曲群も、ぜひ。
掘り出し物、多いですから。

「リバーズ・エッジ」主題歌の件

映画化のニュースは聞いてましたが、オザケン主題歌。
先行して歌詞公開とのこと、珍しいな…と思って
サイトに見に行ってみた、ら…。
「僕の彼女」、「古い友」、特定余裕。
「僕とつき合った後に彼と結婚して
出産して離婚した」とな。ここまで書く必要とは。
 むしろ「君」の方が一瞬わからなくて
「年上」? 「ベレー帽」! で「オカキョン」じゃん、と。

コンサート会場や世田谷美術展のゲリラライブなど
局面局面で岡崎さんの存在が登場しています。
オカキョンが5歳上。そのくらいならカップルになることも、
ままあるかと思える年齢差。ですが。
歌詞を読むに、初対面は90年頃と推測。
オザケンはメジャーデビューしつつも大学生(東大だが)、
一方、89年に「pink」を上梓した岡崎京子
この一作で「漫画ブリッコ」出身者や
内田春菊原律子らを含めた
「少女漫画を描かない女性漫画家」群から頭ひとつ、いえ
何馬身もの差をつけて、時代の先頭に躍り出ていました。
よく「大友克洋以前・以後」という表現がありますが
女性漫画家では、それは岡崎京子なのではないかな、と。
作画ではなく、女性像の描写の部分で
(作家では林真理子だと思っていますが余談につき割愛)。
つまり存在が衝撃的すぎて大量のフォロワーが出たため
後世になると「オリジナルであることの革新性」が
却って伝わりづらくなるという例のやつです。
「学生vs.社会人」だったことに加えて
89年以降のオカキョンは、サブカル系近辺に絶大な影響力を
もった人でした。「pink」→「リバーズ・エッジ」の流れを
平成生まれの人に説明するなら
ハチミツとクローバー」→「3月のライオン」的な。
21世紀生まれの人に説明するなら
「かくかくしかじか」→「東京タラレバ娘」的な。
(作風は似てません念のため)。
自分はオザケンと同い年なので、おこがましさを
承知で言えば「オカキョンさんSUGEE」感は
近いものを共有できてるんじゃないかと思っています。

そんなにも、折々にオカキョンさんが登場する。
確か「ひふみよ」ライブで青木さんの名前を挙げていました。
かつて身近にいた年上の友人を喪ったことのダメージが
あるからこそ、岡崎さんがかけがえのない存在になっている、
ということもあるんじゃないかな。。
あと、漫画と歌というツールや、展開する世界観の違いはあれど、
画角の取り方が一部、似ているところがあるのではないでしょうか。
「DOLPHIN SONG」「ローラースケート・パーク」などに見る
「ほんとのこと」「嘘っぱち」
「ありとあらゆる種類の言葉」という表現。
リバーズ・エッジ」では物語の終盤、主人公のハルナが
「どうして私たちは放課後、あんなにおしゃべりばかり
していたんだろう。それはきっと…」と振り返ります。
初対面の時の言葉に、小沢さんは心を射抜かれていました。
だから、30年近く経っていても「歌詞」に引用するのです。

パーフリ時代の2人は、本業は知らず、プロモ場面などでは
相当なクソガキだったようです。大宅文庫で当時の
雑誌インタビューを読みましたが、自分だったら
絶対に記事を担当したくありません。それがいつの間にか
過去の不用意な発言で、消えない刻印が刻まれた元相方に比べ
対タモさんへの言動や、家族愛の連呼で
「きれいなジャイアン化」が著しい昨今のオザケンでした。
ですが、今回の詞は黒いというか、露悪的なところをチラ見せ!
(ただし自分自身を黒くは晒さないのもまた「らしい」というか)。
そこに、喪われたかと思っていたパーフリっぽさを勝手に感じます。

燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」が
今年の象徴ですが、ついに、今までは地続きのように思えた
90年代が「懐古すべき時代」というフェーズに移行しました。
オザケンは戻ってきたけど安室ちゃんは引退、平成終了…
95年の神戸震災、オウム、エヴァで持ちきりの
「世紀末感」に似た様相が、今の空気。
そして一度終わらせたからこそ、
今また戻ってこられた感のあるオザケン
マーケットが縮小・分散化したとはいえ、この年齢で
ノンタイアップのシングルで、オリコンウイークリー2位
という結果はさすがです。これだけブランクを空けての
トップ10ランク入りの実績を出せた歌手は、ポップス系では
他にいない様子。演歌では数名います。でも彼らは
「長い休業」はしてないです。オザケンのすごさは、
活動していなくても、むしろ時代を経て、
より多くのファンを獲得した「普遍性」にあるのだと思います。
リバーズ・エッジ」(94年)に話を戻すと
「なぜ今、映画化なの?」のリアクションも多数見られますが
今が映画化のラストチャンスだったかも、というのが
実際のような気がしています。

行定監督はオザケンとタメなので
「同学年ですごいヤツが、もう世に出ている」という意識は
あったんじゃないかと思います。
同い年ということで言うと、月刊カドカワ91年2月号
尾崎豊特集」目当てで買った中に「鷺沢萠スペシャル」があり
そして「フリッパーズギター」の記事があったと記憶します。
彼らの名前を知ったのは、ここが初でした。あんまり早くない。
ねるとん」のCMソングの人たちだ、みたいな。
で、鷺沢萠が68年生まれですね。62年生まれの山本文緒
後にエッセイで書いていましたが、初掲載の際(30歳ごろ?)
「あの月刊カドカワに自分の文が載るなんて」と、相当感激した
ことを回想しています。
その媒体に、22歳でスペシャル記事を組んでもらっていた、
当時「吉本ばななと並び、芥川賞に最も近い女性作家」と
言われていた鷺沢さん。既に十三回忌を過ぎました。
私たちは来年、「知命」を迎えます。
時の流れの早さに、言葉もありません。

…しかしアレですね、「結局、招待客しか入れなかったイベント」だの
「整理券を入手しても、3時間待ちで会場に入れた頃には
お目当ての物販は完売済み」だの、楽曲に関係ない部分で
「んー?」と思うことが続いたため、本末転倒と知りつつ
今年の2曲はまだちゃんと聴いていません。
そして、もともと90年ごろの自分は
音楽は「森高ランド」「古今東西」で森高一択、
漫画はいろいろ読んでましたが、主食はキャプつばの薄い本。OH。
リバーズ・エッジ」のキャラならルミちんの姉(牛乳好き)が
自分の属性にドンピシャ。パーフリからの小沢小山田ファン=
オリーブ少女、という図式にはそもそも1ミリもかすりません。
さらに「ひふみよ」ライブ以来、新作チェックも怠っている有様。
「キレイなオザケンは、私にはますます遠い人だなー」と思っていたのに
リバーズ・エッジ」と合わせ技にされたら
これだけの長文を書かずにいられない自分に一番驚きました。
新作歌詞に戻ると「目が見えない」のは誰でしょう。
数々のシーンで「フリッパーズギター」再結成願望を
作中キャラに叫ばせていた岡崎さん。
歌詞冒頭に「汚れた川」、終盤で「汚れた川、再生の海」。
この辺だけが作品世界に合っていて、他の部分は私信ですよね。
再結成はできず、「共演」もこれが限界。それでも、
主題歌によせて、小沢さんが「古い友」を語りました。
ソロデビューのお披露目が日比谷野音、なんで? と
思っていましたが、歌詞内の補助線で、2人の間に
何らかのエピソードがあることがわかります。そして下北沢。
川、海、噴水、涙、茹で汁。人が為すこと、そして生命を維持する
「茹で汁」にこそ「永遠」の単語を付与するのが、今の小沢さん。
「手をつないで、光の差す方向に向かって歩く」という光景に
個人的には「戦場のボーイズライフ」(95年)を連想しました。
すぐ乾くはずの涙はまた流れて、それでも歩くしかない。
主題歌が発表され、改元日程が確定した2017年12月1日に、
そんなことを思いました。この項終わり。

谷山浩子コンサートに行ってきたよ! ほか

取り急ぎ雑感。オールリクエスト・斉藤ネコさん担当回でござる。

2010年頃にやはり「斉藤ネコさん回」を当日券でまさかの大当たり、

「Weather Song」をリクエストした時の日記は消してたねぇ…。

そして今回も、まさか行けると思ってなかったので当日券でGO。

1曲めが「DOLL HOUSE」(斉藤由貴8thAL「age」6曲め)で

「おおぅ」となる。「自分は作詞だけ、作曲は崎谷健次郎くん。

由貴ちゃんはボサノバ風、自分はジャズ風アレンジで収録した」と

語るに留める浩子さん。渦中の人ではありますが…ねぇ。

オールリクエストの醍醐味は「その曲お願いしちゃう?」というやつで

岩男潤子作曲曲がリクエストされたりなどで

「こういう作品もあったのね」と、蒙を啓かれるところにあるかと。

それでも「ねこの森には帰れない」B面

あまんきみこ『車のいろは空のいろシリーズ 』の未収録曲」を

リクエストした方がいらっしゃったのにはビックリした。

82年ANNからのライトファンですが、存在すら知らなかった。

浩子さんも「歌詞だけあっても思い出せない」と謝っておられた…。

 

さて、昨年の80年代アイドル言及日記推していた

斉藤由貴須藤凜々花がそろってこの夏

「同世代アイドルの中で最強ヒール」に躍り出て、忸怩たる思いです。

両者に共通なのは「相当頑張って上昇気流に乗りかけてたのに、

スクープされたとはいえ実績を自分で壊した」という点でしょうか。

須藤さんに対しては「若いって、こういうことよね」感もあるのですが

斉藤さんに対しては「三つ子の魂百まで」的な、

須藤さんに対しての気持ちと矛盾するようですが、

「人は年齢にかかわらず『同じパターン』にはまりがちなのだ」という教訓を

得てしまったような心境です。宇多田ヒカルワードでいうと

「どうして同じようなパンチ何度もくらっちゃうんだ」的な。

なんでそう思ったかというと、話は全然飛びますが、

最近岸本葉子さんの「週末介護」を読みまして。

以前の著作で「山一証券に預けていたお金が!」(97年)とあり

今回「リーマンショックで運用していたお金が!」(08年)とあって

「なまじ目端が利いたが故の利殖対策が残高減らしに」のケースを

繰り返しているなぁと思ったからです。また同じチョイスしとる!

でもこれは大概の人にも当てはまることで。

軌跡こそ本体なので「失策をいかに避けるか」よりは

「宿業とどうつき合うか」を考える方が、実態に即している気がします。

今日、ついに斉藤さんの「来年の大河降板」の一報が出ました。

この分だと「クリスマスの約束」のナレーションも

松たか子あたりに交代では、と予想。公開を控えている映画以外では

撮り溜めしているEテレ分を消化したら、斉藤さんは本格的に

表舞台(テレビ・映画・CM)から消えてしまいそうです。

20日の定例会見でオードリーヘップバーン回差し替えを発表した

NHK放送総局長氏は「はね駒」演出のひとりだった方なのだそうですね。

今年はクリスマスコンサートも自粛かな…。

それでも大河降板は、この後どんな画像が出るかもわからないうちは

自粛しといた方が安全じゃん? という印象。過去の会見なども

発掘されましたが「美しい伝説のまま、いなくなってしまう」よりは

「生きててくれるだけでファンサだから!」と思っています。個人的に。

まだまだ事態は流動的なようなので、言及もここまで。

 

雑談。谷山浩子私的ベスト5。

この中では2と3が、比較的人気がある曲かな。

1 エッグムーン

2 SORAMIMIー空が耳をすましているー

3 見えない小鳥

4 Weather Song

5 …ここは気分によって変わるかも。

  「さよならのかわりに」が有力ですが、

この日記を書いてたら「真夜中の太陽」を思い出してしまった。

「夜のブランコ」ではなく。この項終わり。

「魔法使いの娘ニ非ズ」完結!

えーと今日書店で買いました。早売りではないと思います。

著者インタビューありの小冊子目当てで「WINGS」2月号を買っており

最終回だけ読んでいて「ん? 無山はどうしてこんなことに??」などなど

疑問山積でしたが、最終刊を通して読んで、なるほど納得。

初音、パパ、兵吾、無畏さん、

無印では無畏と一緒に死のうとしたのに、「非ズ」では…の操名。

みんなハッピーエンドに向かって

「こうなったらいいな」「こうした方がいいな」という方向に歩み出す。

ただ、一読者としては、その「こう」を「そう来る?」という方向に

(特にラストシーン)、しかしキチンと整合性のある場所に

ポンと着地させるのが、さすがのストーリーテラー・那州さん。

未消化の伏線はないと思います…たぶん。

主要人物の中で、小八汰の「自らの手で無山を殺す」という願いだけは

叶ってません。なので小八汰は表紙にいないのかも。

で、タイトルをかみしめますに

「魔法使いノ娘」ニ非ズ=私自身が魔法使い、

に成長していく物語なのだなーと思っていましたが、

「魔法使い」ノ娘ニ非ズという、つまり父はついに…という意味も

隠されていたのだな、とようやく解釈いたしました。

自分は相当凡庸なので「日常生活では同居している娘夫婦(主に娘)に

叱られてばかり。でも、娘夫婦に生まれた、孫にあたる幼児に

『おかあさんとおとうさんにはナイショだよ』と、

手品のように失せ物をこっそり取り出してみせる白髪のパパ」という

家庭の団らんの図、あたりで物語が閉じられるといいなーとか

思ってましたが、そんな甘いシーンで終わるわけがなかった。。

「娘」が隠された嘘を暴き、決着をつける物語だったのに対し

「非ズ」は変えたいのになかなか変われない自分と、

そして他者とどう向き合うか、という物語なので、

カタルシスでは「娘」の方が上かと。

ただ、多くの人は「このままじゃ、なんかいけないんじゃないか」と

思いながらも何かを少し変えたり元に戻したりしながら

日々を暮らしているかと思うし、物事の「決着」はつかなくても

自分で「ケジメ」をつけることはできるのだなぁと。

 

以前この日記で「フラワーデストロイヤー」について触れました。

シリーズ最終作「ダーク・エイジ」(91年作品)では

「花」の香りで超能力に目覚めた優等生が念動力を発動させ

瓦礫で繭を作り閉じ籠もった時に、主人公・智恵は呼びかけます。

「自分で出てきてくれなきゃ 何もできないのよ!

わかってるでしょう!?

それはあなたにしか壊せないんだよ、鳥井さん!」

物語の終盤、初音は答えます。

「それじゃダメなの!

あたしが自分でやらなきゃ…」

85年デビューの那州さんですが、本当にブレない。

「娘」の終盤では「おとうさん」を下ろしたわけですが、

先に述べた操名と同様、初音も「非ズ」では変わりました。

今のままではいけない、変わらなければ…という思いを抱き続けて

いつの日か。「魔法使い」シリーズは完結しましたが

私たちは歩き続けなければならず、道に迷った時には

その都度この物語を手に取ろうかと思います。

 

以下余談。

「娘」第1話が02年7月号なので、約15年にわたるシリーズが完結!

あと1ヶ月しないうちに「シュトヘル」最終巻は出るし

(こちらは09年連載開始)、立て続けの長期連載完結はさびしいなぁ。

とはいえ「キッチリ完結するのは◎」という評価もございます。

他に今買っている長期連載は「将国のアルタイル」(これも最終章だ)、

「大奥」「きのう何食べた?」、あと「おおきく振りかぶって」。

「大奥」は15巻完結説が出て今14巻ですが、本当に終わるんでしょうか。

そして、自分が初めて読んだ「ドカベン」の当時の最新刊は

「初優勝した深紅の大優勝旗が、明訓高校の校長室から盗まれた」

エピソードが入った22巻なので、それを思うと

おお振り」もまだまだ序盤です。全然OKです。

そんなこんなで、この項終わり。

80年代アイドルの自己表現について

昨日発売の週刊ビッグコミックスピリッツ

80年代アイドルを特集しておりまして。

それきっかけで、最近チラッと調べていたものの成果など。

 

87年11月ー斉藤由貴(21歳)10thシングル・オリコン4位

88年3月ー小泉今日子(22歳)25thシングル・オリコン2位

88年4月ー森高千里(19歳)4thシングル・Wikiに項目なし

88年9月ー松田聖子(26歳)26thシングル・オリコン1位

89年6月ー南野陽子(21歳)15thシングル・オリコン2位

91年7月ー中山美穂(21歳)22thシングル・オリコン2位

94年3月ー工藤静香(23歳)21thシングル・オリコン8位

 

ささっと種明かしすると、上記はすべて

「アイドル本人が自作詞で初めてシングルを切った曲」となります。

 

斉藤由貴=「さよなら」→主演映画『「さよなら」の女たち』主題歌。

当時のフォーマット的に、ヒロインを演じていれば、まぁ歌います。

5th「悲しみよ こんにちは」B面で19歳の時に自作詞提供経験があり

同日発売2ndアルバム10曲の内4曲が自作詞。

同時期、朝ドラヒロイン(NHK「はね駒」)を演じ

最高視聴率49.7%を叩き出し余勢をかって紅白初出場&紅組司会。

その後88年にはドラマ「花園の迷宮」(日本テレビ開局35周年記念)、

映画「優駿」(フジテレビ開局30周年記念)、

ドラマ「女優時代」(よみうりテレビ開局30周年記念)と

立て続けに局をあげての記念作品主演を歴任。

そんな「国民的女優」にとって、歌手活動・とりわけ作詞業は

プライベート…のわけはないんですが「わたし自身」を発露しやすい

場所だったのでしょう。実際に「シングルでひと山あてる」よりは

「コンセプトにこだわるアルバム・アーティスト」でしたし

ランキングにこだわらず、セルフプロデュースを展開していった記憶。

コミケ大手壁サークルかな?

対照的なのが中森明菜で、彼女は同じくセルフプロデュースといっても

5th「トワイライト」のジャケ写を自分で選び、

7th「北ウイング」では作曲家に林哲司を指名し、タイトルも考案。

衣装や振り付けなどに、どんどん自分のアイデアを出していき

タイアップに頼るようなことは退け、それでも「今週の第1位」に

こだわります。少年ジャンプ巻頭カラー常連かな?

ただし、シングルの作詞を手がけようとはしなかった。

本人曰く「プロデューサーのわたしがいて、タレントの明菜ちゃんが

いる」。作詞家のAKINAさんに発注をかけたのは実にデビュー13年目・

32th「Tokyo Rose」と、かなり遅い。それも上澤津孝との共作であり

自作詞については慎重だった様子がうかがえます。

「作詞」が自分の主戦場ではないと判断していたのでしょう。

 

小泉今日子=「GOOD MORNING CALL」小室哲哉作曲。

最大ヒットはこれも自作詞「あなたに会えてよかった」(91年・32th。

パパとなっちゃん」主題歌)で、ハウスや学園天国のカバーなど

試行錯誤の末の自作詞路線復活が、主題歌になって花開いた感。

順風満帆なキャリアの方なので、追記事項はあまりないのですが

「あなたに会えてよかった」はその年の日本レコード大賞作詞賞受賞。

89年の作詞賞は吉岡治「好色一代女」(歌・内田あかり)、

90年の作詞賞は竹内まりや「告白」(歌・本人)。

90~92年はレコ大にポップス・ロック部門と歌謡曲・演歌部門ができた

時期で、賞レースの構造にメスが入った時期ではありました。

それでも作詞を専業としない、しかも現役アイドルが受賞したのは

画期的。直前の受賞者の顔ぶれと比較すると一目瞭然でしょう。

個人的にはこのあたりで「聖子明菜コイズミ」の3強から

存在感としてコイズミさんが完全に頭ひとつ抜けた感があります。

 

森高千里=「ザ・ミーハー」…前後の方たちに比べると

87年デビューの森高が、いかに徒手空拳だったかがわかります。

聖子明菜が現役でヒット出してて、最大勢力85年組が百花繚乱。

歌唱力? 顔? プロポーション? 演技力? 愛嬌?

どの分野でも先人たちが陣地張ってたわけで、活路が「自作詞」。

同年デビューの酒井法子が「のりピー語」を駆使する設定を必要と

したのと、理由は同じでしょう。当時のサンミュは聖子在籍、

84年デビューのユッコもレコ大新人賞受賞からの展開で、

景気のよい時期ではありました。それでも「のりピー語」。

いわんやアップフロントをや(アイドル商法にノウハウ皆無)。

ドラム叩いてるだけじゃ弱い、と判断されたのでしょうか。

この曲を収録したアルバムは同年3月発売なので、厳密には

「高校3年生の卒業間際に、突然言われて作詞することになりました」。

高校生の作詞を商業ベースに乗せてシングル切ってみた、なんて

同時代なら尾崎豊くらいしかやってなかったんじゃないかな。

彼ははじめから作曲含め、自作志向でしたが…。

他のアイドルはみなさん、ヒット曲などの実績を作った後に自作詞です。

とはいえ、結果的には大成功。森高は本当に頑張り屋さんでした。

89年に「ベストテン」90年に「トップテン」「夜ヒット」終了。

ゴールデンタイムの音楽番組が「ミュージックステーション」一択に

近い状況になっていた92年、森高は女性ソロ初の

「全都道府県制覇ツアー」を敢行しています。

もしも00年代にデビューしてたら握手会皆勤とか

また違ったタイプの見え方で頭角を現したに違いありません。

 

松田聖子=「旅立ちはフリージア」。Seiko名義です。

産休明けでも人気は健在、と思いきや、

この初の自作詞シングルが24作連続1位の最後の曲となってしまいます。

いや、もうちょいヒットは続きますが。

キョンキョンと同じで、この人も自作詞が最大ヒット。

「あなたに逢いたくて~Missing You~」(96年・38th)。

しかし人気のピークと同時期とは言えず、CDバブルの賜物かと。

個人的にはまったく詳しくないのですが、自作詞へのこだわりに

賛否両論があるとかないとか。。詳しくないので記述はここまで。

 

南野陽子=「トラブル・メーカー」。89年は事務所独立の年。

「君の生まれ(事務所)の不幸を呪うがいい」とはガルマ・ザビ

南野陽子によく似合うセリフです。高値安定のキョンキョン

復活急上昇の斉藤由貴、この2人に共通なのが「デビュー以来

事務所が変わっていないこと」。比べると、ナンノは不遇でした。

しかしレコード会社は強かったし、楽曲もよかった。

「ニッポンの編曲家」(DU BOOKS)にてほぼ全員の証言者から

「萩田さんの編曲はすごい」という言葉を引き出した萩田光雄

「飾りじゃないのよ涙は」のアレンジを最後に中森明菜ワークスから

手を引いた萩田氏が次に注力したのが南野陽子です。

山口百恵松田聖子の流れを受けたCBSソニー王道アイドル路線の

後継者として恩に報いたナンノは「作編曲・萩田光雄」の

9th「秋のIndication」でオリコン1位を獲得し、返礼とします。

歌唱力で突出しなかった、「スケバン刑事」「はいからさんが通る

菩提樹」くらいしか主演・主題歌が連動していない

(当時としては少ないです。商売ベタ。ドラマと歌手とで

マネジメント部門が別だったせい?)etc.さまざまな理由から

「今でもカラオケで歌いたくなるような、印象の強い曲がない」

とまで言われてしまうナンノですが、オリコン1位獲得は実に9曲。

小泉今日子工藤静香(各11曲)には追いつけずとも

中山美穂(8曲)、菊池桃子(7曲)を上回っています。

「ジャケ写商法」とも言われましたが、特にガチンコで

全盛期が重なった中山美穂とは、互角以上の勝負となったようです。

あまり知られてないかもですが、

ラストのオリジナルアルバムでは

ほぼ全曲の作詞作曲を手がけていますし、

ライブではギターやキーボードの弾き語りもこなすなど、

後期の音楽活動スタイルは意外と森高にタイプが近い。

ひるがえると「ただのミーハー」「ただのわがまま トラブルメーカー!?」

(歌詞一部引用避け)と、批評的な視点で自己規定しようとするところも

似ていたり?  しかし森高は事務所移籍なしどころか立役者で、

その点は小泉今日子タイプ。

森高がセルフカバー200曲に挑戦できたのは

事務所のバックアップあってのことだと思えますし、

80年代デビュー組の周年イベントの中では、

最も誠実にファンに向き合える環境が整えられており、

かつ実行を果たしました。

一方ナンノは準備期間こそ短期決戦でしたが

デビュー30周年の2015年に、当時とキーを変えずに

シングルメドレー的セットリスト・生演奏でコンサートを開催。

アンコール公演となった2016年6月26日のステージ上で

3日前の49歳のバースデーを祝われ

(18歳の誕生日デビューの時のようにバースデーケーキが登場した)、

その壇上にて「これでもうコンサートは最後」宣言を行います。

歌手活動を不本意な形で奪われてしまったナンノが

自らの手で見事な「落とし前」をつけた形となりました。

この矜持が、今後のナンノの芸能人生を照らしていくことを

心から願っております、いちファンとして。

 

中山美穂=「Rosa」。井上ヨシマサ作曲。名義は一咲。

本人の声があまり出てないけど、この曲自体は、

ダンスなども含め、かっこよかった記憶。

小室をいち早く起用したり、スタッフ(&本人)が

センスよかった。のに、どうしてこうなった。。

月9ヒロイン作品数ナンバー1、TBSでも活躍し、

80年代、90年代、00年代かつ自身が10代、20代、30代と

各世代にわたって主演ドラマ20%超を記録した女優さん。

しかも80年代デビュー組女性ソロでミリオン2曲を出したのは

今井美樹中山美穂だけ。同世代では

91年=薬師丸、94年=斉藤、95年2月=小泉と

歌える主演女優が結婚・芸能活動セーブ期に突入。

95年3月公開の映画「Love Letter」(岩井俊二監督)ヒロインを皮切りに

同世代アラサー女タレントの中で

90年代後半の実績は中山美穂無双だったと記憶する。

同時期、今井美樹はスキャンダルがあったのでね…。

斉藤由貴「はね駒」は86年4~10月の放映でしたが

その直前の時期(~86年3月)に

中山美穂は「毎度おさわがせします2」に出演していました。

3学年違い、ファン層の違いを考えても、なんというギャップ。

それを思うと、90年代後半の歌手部門女優部門の2冠を制覇したも同然の

ミポリンは本当に頑張りました。

だがしかし。同期の斉藤由貴や同学年の森高にくらべて

今の露出の少なさよ。この人もほんの一瞬別事務所にいましたが

ソロデビュー前に移籍、それからずっと同一事務所所属なので

本来ならプッシュしてもらえる立場なのですが、

昨年のデビュー30周年記念イベント系もほとんどなく

これからのリカバリーが最も難しいタレントさんになってしまった印象。

親が離婚した場合、子供は育った国でそのまま過ごす方がよく、

父親がフランスを拠点にするなら親権も父親にある方がよいそうですが。

「子供を必要としない人生」を唱えた山口智子が控えめに言っても

賛否両論なのに対し、中山の選択に「賛」を唱える向きは

ほとんどなく。ただ、20代後半の活躍を思うと仕事は

精力的にこなしていたと思うので、斉藤由貴のような「復活」を

遂げられるかどうか、当分時間をおいて見守りたい感じです。

 

工藤静香=「Blue Rose」。名義は愛絵理

二科展やアクセサリーデザインなど「創作活動」のイメージが強い割に

自作詞シングルは意外と遅く。「中島みゆきが詞を提供」

(今思うとポニキャン渡辺氏つながりなんだが)+歌唱力で

中森明菜と入れ違いに、88年時には最大ヒットを出した

女性アイドルの座を射止めています

(87年=「TANGO NOIR」年間第2位、

88年=「MUGO・ん…色っぽい」年間第5位。

この年は年間トップ3を光GENJIが独占)。

この人は89年のドラマ「叫んでも、聞こえない」の女子生徒役で

卓抜した演技力を見せていたので、

もう少し女優活動も続けていただきたかった。本当にもったいない。

もはや「好感度」とか気にしなくてもまったく平気なポジションに

いるので、勝ち組と言えば勝ち組ですが、ファンとしてはもっと

本人に表舞台に出てきてほしいだろうなぁと思います。

斉藤由貴の例にならえば、子育ても一段落したところで

これから本格復帰もありうるかな…??

 

さて。ここまで書いてきて思ったのですが、

今のアイドル戦国時代において

「自作詞」でシングル切ってるケースって

少ないんじゃないかと。

グループ活動が多いから、できてCWとかアルバム曲とか?

握手会あるし、ダンスレッスンしなきゃだし、SNSあるし。

むしろ、作詞するより「本」出す方が、編集者ほかの手も借りられて

アプローチしやすいかも。(元・も含む)アイドルが

大学受験を突破した本とか、大学での専攻を生かした本とか、

そっちの方がプロフィールにも書きやすいし

「名刺代わり」になるみたいなんだよね。

でも、80年代アイドルをリアルタイムで見てきたおばさんとしては

もっと自作詞を歌ってみてほしいのよね。

いや、歌ってるんだろうけどライトファンでいるうちは、

なかなかお目にかかる機会がないのよね。

80年代にオリコン1位を独占した秋元氏が

まさか30年経っても1位にいるとは予想できませんでした。

ファンにとってのSNSへのニーズなどから考えると、

単に「作詞」に誘導されてないだけだと思うんです。今のアイドルは。

たとえばナンノが「トラブル・メーカー」をリリースした時は

それまでの「ロング・フレアスカート」のイメージから、

「歌詞世界に近い、OLチックなスーツっぽい衣装

(ただしスカートはひざ下丈)」に寄せてきたりとか、

「その瞬間のわたし」を丸ごと体現するための強力な素材に

なるんですよね、自作詞って。その点、グループな時点で

テイストの似た服を全員が着るから「制服」っぽくなってしまうし、

「個」が見えづらくなってしまう。もっとソロシングルはよ!

須藤凜々花ちゃんくらい力のあるテキストを書ける人なら

自作詞ソロとかやってくれそうな気もするんだけど、

作詞はまた別の筋肉使うからなぁ。

とりとめもなくなったところで、この項終わり。

追悼 吉野朔実

驚きました。

最初に読んだのは「少年荒野」を高校生の頃にリアルタイムで。

狩野は自分の2つ下の1970年生まれという設定でした。

85年9月連載開始、狩野は中3の冬に文芸誌で佳作受賞でデビューします。

この頃でいうと「1980アイコ十六歳」で堀田あけみが当時最年少の17歳で

81年に「文藝賞」受賞。

「川べりの道」で鷺沢萠が当時最年少の18歳で

87年に「文學界新人賞」受賞。

その少し前、78年に見延延子「もう頬づえはつかない」、

79年に中沢けい「海を感じる時」と、女子大生作家デビューがあり。

女子中学生作家の誕生も、可能性としてはありえるなーと思わせた時代。

とはいうものの「男の子でありたかった」のであれば、

なぜゆえ腰まで届くような長い髪を維持しているのであろうや…?

そんな雑な疑問と共に読み進めていた記憶

(後に、執筆当時のご本人の髪が、あの長さだったと知りました)。

次作「ジュリエットの卵」もそうでしたが、食べることにはほぼ無関心、

めっちゃ細くてめっちゃ髪の長い、美しい繊細な少女が主人公

(しかも自分の美しさには無頓着)というのが

「リアルにいたら、友達にはなれてない」タイプ。ねたましいので。

それでも! ストーリーが面白いから読んでしまう!! 結果的に、

大人になって何度も読み返すのは「恋愛的瞬間」「いたいけな瞳」と

短編色の強い作品になりました。ちなみに「いたいけな瞳」は

よしながふみフラワー・オブ・ライフ」で「カラスのごめん」

「イチゴフィッシュ」「トールの腎臓」「六つのエメラルド」に連なり

「いただけない瞳」と名を変えて、名作と賞されています。

以下「いたいけな瞳」からひとつ抜粋。

 

不幸によって人格は形成される

たとえばこの皿

好き嫌いはいけないという強迫観念から ←このへんが不幸

ついつい嫌いなものばかり取ってしまう ←このへんが人格

(文庫第2巻第10話「ささやかな不幸」)

 

「恋愛的瞬間」から。

 

恋をしたことがない

それは恥ずかしいことですか?

恋をするのが当然だと思い込んでいませんか?

しなくたっていいんですよ

人が言うほど当たり前じゃないんだから

でなければTVや映画にあれほど恋愛物が多いはずがない

運命の恋人に会った者に他人の物語は必要がないんです

(中略)

それでも他人とつき合うことは出来るし

結婚は出来るし子供も出来るんです

そう 至福ではないにしろ幸福です

本質的事実に気付かなければなおよろしい

しかしあなたのように はず や つもり でつき合えない人間は

むしろ至福を得る可能性が高い

欠乏感が強い方が必要なものを得やすいというのが理屈です

(文庫第1巻第6話「恋をしたことがない」)

 

…ともあれ。

久しぶりに読み返しましたが「吉野節」とでもいうべきロジックは

紛れもなく自分の血肉になっております。

夜が明けたら「月刊flowers」を探しに行かなければ。

吉野さんと杉浦日向子さんは同じ学年の生まれで

自分の10歳上。中学→高校→大学生の頃って、ちょうど自分より

10歳くらい上の方たちが作る創作物にハマるものではないですか。

今年に入ってからだと小山田いくさんといい。

著作を読み返すしか、手向けとしてできることがないのが残念です。

素晴らしい数多くの作品を、本当にありがとうございました。

吉野朔実さんのご冥福をお祈りいたします。