とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

驚愕とともに日記再開

相当のんびりと午後出社。まずPCを立ち上げて、ヤフートップをチェック(日課)。


杉浦日向子さん死去」


「ふええ?」と、マジで声が出ました。
私が編集者を志した時の夢は「いつか杉浦日向子から(漫画の)原稿をもらうこと」
でした。当時はまだ絵筆を折ってなかったので。しかし「百物語」完結とともに
漫画家をキッパリ廃業。楽隠居生活に突入したのは、皆さんご存知のとおり。
なので漫画家としての最後のネームは、第99話めの最後の台詞。余韻を残して、
見事な幕引き。振り返ると1987(昭和62)年春、大学受験を終えて
「これで堂々と漫画が読めるぞー(←当時からオレってやつぁ……)」という
解放感の中、最初に手に取ったのが杉浦日向子「合葬」(ちくま文庫ほか)と、
スピリッツで「YAWARA!」の連載を始めたばかりの
浦沢直樹「パイナップルアーミー」。
杉浦日向子オススメは、まずは手堅く代表作「百日紅」(同上)。
とはいえ「百日紅」は、ご本人のキャリアの中では、連載が長きにわたっているので、
最初の頃は絵柄が不安定です。漫画を読み慣れない人にもむけて、どれか一冊なら
東のエデン」(同上)がとっつきやすいかな。余談ですが「忙中閑あり」という表現は
この本で知りました。というか「閑中忙あり」が正しいのかとすら。
当時、まだ二十歳だったんで、許してください。
ただし!「閑中忙あり・可否」の中に出てくる「サイサイ節」は誤りなのでは。
ここは「ノーエ節(野毛山節)」と言わせるのが正しい。もともと農兵の唄だからね。
明治初期、野毛山から外国駐屯兵の訓練が良く見えて、この様子を
「野毛の山からノーエ」と歌ったのが野毛山節。サイサイ節は酒席の唄だよん。
もっとも、野中が事実誤認をしていた、という設定である可能性もなくはないですが。
編集者、しっかり!>含む自分。
杉浦日向子で「この短編を!」なら、多くの方が挙げてますが
「ゑひもせす」(同上)所収の「吉良供養」。悪いこたぁ言いません。ぜひご一読を。
杉浦さんは江戸風俗を忠実に再現かつ活写した作画が高い評価を得ていましたが、
私は地の文とも呼べるネームも好きでした。
「法師の背が陽炎に千切れた」とかね。
てなことを匿名巨大掲示板に書いたら「内田百輭による影響が見られますね」と
指摘する方もあり。みんな、詳しー。そんなわけで「幕末百話」「明治百話」
(どちらも篠田 鉱造・岩波文庫)を読んでみたりもしたよ。
18歳の春に杉浦日向子を知り、今の自分はもうじき37歳。
恐ろしい速さで、時間が流れていくのを感じます。ところで「焦燥感」から
連想するのは日本橋ヨヲコG戦場ヘヴンズドア」だったりするのだ。
「今描かずにどうする?」的な感じ。日本橋ヨヲコのこともいつかはこの日記で
触れたいな、と思ってましたが、呼び水がよもやこんな出来事であろうとは。


明日の昼飯は蕎麦にします。これから一杯、日本酒を飲んで寝ます。
ただただ合掌。
最後に、改めまして杉浦日向子さんのご冥福をお祈りいたします。