とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

「ヨイコノミライ」感想

ネタバレ危険!!!


すでに多くの人が言及している「ヨイコノミライ」。
ハッピーエンドからバッドエンドまで、キャラクター達が迎えたラストの
振り幅の広さが「ひと言書かずにおれない」感を誘発しているのではないかと。
基本的には全員、それぞれの持ち味を現状維持〜深化させています。
足抜けしてカタギになっちゃうような人はいません。
見たとこ、男はあんまり変わってないです。もしかしたら
話を端折った結果、そこまでの描写に至らなかっただけなのかも知れませんが。
最も建設的な変化は萌絵で(裏設定のある)和馬の存在が
結果的には「自分になんてきっと無理」と思えていたハードルを飛び越えさせます。
彼女の、希望に満ちた変化の姿は多くの読者に好感をもって受け入れられたのでは
ないでしょうか。それは「これから始まる」という序章がもたらすワクワク感は
ほとんど誰もが持つ、希望の光だからです。
「誰かの存在が自分を変えた」という図式は、主人公・青木杏にも当てはまります。
しかし、萌絵のそれに比べると、やや苦い味わいです。
それは「かつて否定していた(押し殺していた)自分の、夢の実現にむけての再構築」
なので。自分を受け入れること、許すことは大人になってもムズカシイものですから。
その困難さが杏を慎重にさせたというか、だから「友達」なのでしょう。
一方、もう少し切迫していたのは桂坂です。自力で自分を保つことができないところまで
追い詰められていたからこそ「誰かに受け入れてもらうこと>自分を受け入れること」の
救済措置が取られ、あのような展開になったのかと思います。少なくとも
「友達」よりは唯一無二とまでいいませんが、もう少し縛りの強い関係です。
ただし実際には救いの手があんな絶好のタイミングで差し伸べられるようなことは
滅多にありません。最もフィクション性の強い関係だからこそドラマティックになりえて
いますし、裏を返せば、自傷を続けている「リアル桂坂」的読者が
カタルシスを得ることは困難でしょう。
「そんな都合よく王子サマが現れてくれたら、苦労しねーよ」なのです。
まぁ「こんな風に『否定する自分ごと全肯定』してくれる人がいてくれたらなぁ」と
夢想するのが関の山。でもいいんです、
それが漫画=絵空事の正しい消費の仕方なのです。


さて。よかったね、と思える「明」に比べて「暗」な人たちはというと。
大門は、今まで浸かっていたぬるま湯集団の全否定をきっかけに舞台を去ります。
決意のバネは、むしろ1対1よりも大きな原動力になったかと思われるほど。
外の世界に出て行けるくらい「対人関係のストレス」に抵抗力があるからこそ、
他のキャラクター達が漫画表現=2次元の世界に留まっているのに対し
声優=3次元の、人を相手にする職業を志向することができたのでしょう。
※イジメられて泣いてたわけだが、他のキャラはイジラレてすらいない。悪目立ちが
イイ目立ちになればオッケーなわけで、立ち位置を変えれば充分可能。10/4追記
それは当然、ルックスに対する自信が、その立脚点になっていることは疑いなく。
しかし、元から持っているもの=自分自身が根拠の足がかりなので、身を置く環境を
変えることまでが限度。内田に対する態度も、今まで言わずにいたことを言っただけ。
つまり別段「成長」はしていないのです。これが、冒頭で述べた「深化した」状態。
いや、作中では「一人でも歩けるようになってしまいました」と描写されているなぁ。
「変化」はしたんだけど「元からこんなヤツ」の傾向に
一層拍車がかかったというべきか。
とはいえ競争率の激しい世界に出て行こうとしているのだから
コレくらいの方が頼もしいといえなくもないです。むしろ。
そして、日常生活からはみ出るまでの淵に立つことになってしまったのが平松。
最初から最後まで、彼女には「他者」の存在は目に入っていませんでした。
いや、見てたけど見ていなかった。
自分にとって都合のいいような存在でなければ拒否。視界から抹消。
都合の悪い世界がどんどん消えてゆき、ついには妄想の世界の住人に。
こちらも「元からこんなヤツ」が深化した状態。他人レベルじゃもうダメで、
家族のサポートで、現実世界に戻ってこられるかどうか。姉の存在があるだけ
内田よりは可能性が残されている、とはいえますが。


「明」な人にあって「暗」な人になかったもの。
それは「出会いがあったかどうか」、コレに尽きます。
漫研という、現実の世界では1次的接触にためらいを感じるのではと
おぼしき人たち=その代わりと言ってはなんですが、代償行為として
書籍や漫画などの創作物を享受している人たちが、どんなに数多くのコンテンツに
触れようとも「生身の人間」という、情報量の多い存在と交流することには
「勝てない」のか? と思います。勝てない、というのはつまり
人は人と出会わなければ、変われないのか? と言いたかった。
実際のところはどうあれ「ヨイコノミライ」で示されているのは、
そういうことなわけで。


うーむ、感想を書くには読み込みが足りなかったか。とりあえずここで終了。
※「ヨイコノミライ」を読んで、
自分が漫画編集者を降りた理由を久しぶりに思い出しました。
以降の日記でちょっと書きます。10/4追記


仕事。短期プロジェクトは7日目調査の結果が上がってきました。
もうひと押し、要リアクションだそうです。