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とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

※今日の日記は比較のため、最初の出版社での仕事環境が主な内容です
一般誌だと、仕事相手はライター、カメラマン、デザイナーがだいたいワンセット。
ファッションページならスタイリスト、ヘアメイク、モデル&モデル事務所の人。
お店紹介ページならマッパー(マップ製作)、ページによってはイラストレーター。
スタッフ=身内、ではありますが「=味方」というわけではありません。
餅は餅屋で、それぞれの専門分野については当然その人たちの方が詳しいです。
それでも、ページの最終責任者は編集者です。これは絶対です。クライアントだから。
なので「スタッフにどんなにイヤな顔をされても、そして自分自身が『その企画』を
ちっともイイと思ってなくても、デスクから指示が出てるから『その企画』を
形にせざるを得ないよなー」てなことも起こりえます。
で、38歳の今ですら「子鹿」なくらいだから当時はもっとダメ。みんながみんな
キビシイ人たちだったわけではありませんが「テメエこの野郎、ふざけんな!」と
自分のディレクションで仕上げてもらった原稿を床に叩き付けられたり的なことも
ありました。それはまぁスタッフではなく上司でしたが。で、書き直しをお願いする、と。
今は多少時代が変わりましたが、マスコミって基本的に「体育会系?」なような、
鉄火場な状況をよしとするような。「働きマン」3巻P108でも出てきていますが
「昔は『殺すぞ』って灰皿で殴られて頭パックリ」みたいな。
「時には手を出してでも叩き込む」ように仕事を教えるには、部下は女より男の方が
使いやすい。というわけで、男尊女卑というのとはビミョーに違いますが
「こういうやり方についてこられなければ、結婚でもして辞めちまえ」という空気が
ありました。バブル崩壊後とはいえ、まだまだ「寿退社」なんて言葉も生きてましたし。
話を戻しますが、他に関わる人としては取材先。企業取材なら広報担当とか、
その集団を代弁する役割の人。第2新卒(懐!)で入社した当時23歳の自分に近い若造は
あまり多くありません。「もし、ここの企業にお勤めしてたら、とても直に話せるような
近い距離にはいないんだろうなぁ」と思えるようなおエライさんとも対等な立場で
仕事をする。なんならマスコミですので「コチラが優位」だったりもする。


いやもー無理だって! 仕事だからこういうページも作ってるけど
週末の自分は誰にも会わずに(数少ない友達に会ってもグチになるから。また、
仲いい子の結婚が決まったりしていて、向こうもそれどころではなかったと思われ)、
ポテトチップスやチョコ食べながら、部屋で好きな漫画を読み返してるだけの
ただの漫画好きだから! 自分と同種のタイプが同僚にいるわけでなし、
人と接するのはホントに疲れる。ていうか無理ー。


とまぁ「無理無理」言いながら携わる仕事で成長できるわけもなく、
結果的に最初の出版社は26歳の時に逃げるように辞めました。正確に書くと休職の末退社。
一人暮らしで困りましたが、無職(幸いにも2週間)→次の会社に内定をもらえて。最初から
漫画編集者での採用でしたので「小規模&年収減(年収が税込み450万→360万)だけど
頑張るぞー」と思えました。※「年収300万時代」の例の本が出たのが03年2月。
95年当時は就職氷河期が始まっていましたが、社会人の経済状況としては
「さすがにボーナス渋くなったよねー」くらい。失業率が本格的に上昇するのは97年
玄田有史仕事のなかの曖昧な不安」より)。06年の今なら「360万もらえてれば
全然オッケーじゃん」ですが、当時は「年収が90万下がった!」のがツラかった。
マックのハンバーガーが80円で売られる日が来るなんて思わなかった頃です。
しかし、最初の記述では配慮不足の表現をしました。お詫びして訂正。←追記
当初は割り当てられた担当漫画家さんを引き継いでイチから仕事を覚えるのみ。
で、ド新人には「締め切りをキッチリ守ってくれる」「中堅、そうでなくても
安定した仕上がりの漫画家」を割り当てるものです。また、漫画編集部には
「ホントは漫画が好きなわけじゃないけど、ここにしか受からなかった」的なスタンスの人も
いるわけで、そういう人たちに比べると自分は立派な漫画好き。そして半年経って
「降りる理由①」に書いたように、壁にぶつかったわけです。そこで初めてわかりました。
「一般誌での人付き合いは、スタッフの数は多いけど相対的に浅かった。
漫画編集者は、基本的に漫画家さんとだけ打ち合わせればいいけれど
(モノによっては取材も必要)、ガチで価値観と価値観のぶつかりあいのところまで
ガップリ四つに組まないといけないんだ」と。不定期でつづく。


最初の出版社を休職→退社したわけですが。
96年3/29、東京地裁の判決が新聞に発表されました。
※URL載せてましたが、うまく飛べなかったりもするみたいなので「電通 労災」で検索を。
ザックリ読むと、訴訟提起から和解までに7年半近くの歳月が費やされています。↑10/13追記
確か転職した年に、第一報の記事を読んでます。95年の夏だったかな。
ことマスコミに限らず、企業のメンタルケアはまだまだ端緒についたばかりなのかというのが
今に至るまでの実感です。仕事も大事ですが、命の方が大切です。改めて、黙祷。


さて、リアルでは。
驚愕のアクセス増のため、丁寧に丁寧に10/10の日記を書く。
もともと午前2時の帰宅だったので、気付くと朝。
完徹で出発。取材3軒、エリアロケハン1軒、3か月分の企画案締め切り。
もー眠くてグラグラです。日付は変わるも、辛うじて終電前に帰宅。
電池が切れたようにコトッと眠る。で、上記の日記は10/12記述。

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