とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

やってみなけりゃわからない、というのは何にでもあることで。
○一般誌→大勢の人と共同作業→ありもの(店とか人とか場所とか)を紹介する
→「自分で創る」仕事じゃーないよな
○漫画(文芸)→漫画家(作家)と打ち合わせ→(取材とかがあっても)
 →「無から有を生み出す」仕事だ!
こんな風に、それぞれの仕事の役割を捉えていました。
まぁ大枠は外してないと思います。
ただ、両方を経験してみてわかりました。
前者は「関係者間全員が限りなく満足に近い場所に
届くよう、落としどころを見つければいいのだ」
「店とか人とかを自分で作る事はできない。
でも『どう』紹介するかの視点を提案するところに
『自分のオリジナリティ』が出せるのだ」。
一方、後者は。
「著者と編集者で『中を取った落としどころ』にケツを持っていくことに、
意味はあるのか?」
「著者から出たアイデアを否定や保留することは、
著者自身を否定や保留することに等しい。
自分に、そこまでの覚悟はあるのか?」
「そもそも、著者が生みの苦しみを味わっている時に、
編集者って何ができんの?」
このあたりで、葛藤を抱えることになりました。
「降りた理由②」に書いたように、
システムとして「編集者が原作者?」なところまで著者を
コントロールすることをよしとする編集部(または個人)もあるでしょう。
ただ、私はそのやり方をよしとは思いません。今でも。
※編集者は漫画家の生殺与奪権を握っています。その立場の人が「原作者」って…
バランス悪いでしょう。せめて「漫画家―原作者―編集者」の
三角形をキープしないと。近年、ヒット作を飛ばしている
元編集者の原作者もいらっしゃいますが…10/14追記
ここで突然「漫画脳」発動。
著者と編集者の関係は、投手と捕手の関係に似ています。
はい、「おお振り」お持ちの方は2巻と6巻をお手元に。
投手=著者をコントロールするのは捕手=編集者の役目です。
しかし、版元に採用されている編集者の場合は特に、
もし仮に著者をミスリードしたとしても
イキナリ「オマエも連帯責任じゃ!」と責められることはあんまりありません。
2巻P90-91にあるように「オレは何かまちがっているのか?」と思いつつ、
アンケートで人気が出ずに連載打ち切りでも
「オレの配球で打たれても、オレが打たれるわけじゃねェ。
痛い思いしたのはこいつじゃねえか」と、
ベンチ=雑誌に入れずに膝を抱える著者の前に
立ち尽くすしかないのです。またP89のように
「リードがいくらよくても、実際投げるのはオレだ。
ぶちあたれば、弱いほうが負ける」のも確かです。で、6巻P230のネームはこう。


「こんだけギリギリばっか狙わせてたら すり減ってあたり前だ。
 こいつはオレの要求に応えて どんどん消耗してってんのに」
 捕手が投手にしてやれることって すげえ少ねェ…!」
即ち
「編集者が著者にしてやれることって すげえ少ねェ…!」
なのです。少なくとも自分は
「1人でマウンドに立つ著者への無力感>最初の読者になれる喜び」でした。


「降りた理由②」で、編集者はいろんなタイプがいていい職業、と書きました。
なので本来、スタンスは自由です。なんなら
「このオレ様の絶妙なリードがわからんとはとんだ愚民どもめ!」くらいの
イキオイでグリグリやっちゃうっていうものアリです。
それでも、描くのは自分じゃなくて著者。
「原作者?」なところまでネームに踏み込むのは
「甲子園のマウンドに監督が立つようなものじゃないですか」
(c)「動物のお医者さん
な感じがするので、個人的にはイマイチ。だし、自分の責任は自分で取りたい。
いろいろと考えて、困った時の処世術「ニーズのある方に行ってみる」。
あがいた結果、とある編プロ(一般誌製作)の内定をもらったので、
そっちに動いてみることにしました。29歳ジャストの時のことです。
あら、予告どおりに終わりませんでした。
たぶん次回で最終回。


リアルでは。
取材2軒+晩ご飯に冷麺をツルツル。
サグチくん(※アンテナ参照)から夜お茶の誘い。
ビックリしたーな内容な話が。
しかし、新しい車はいい乗り心地。
禍福は糾える縄の如し。

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