とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

「雪後」「おもかげを風にあたへよ」

お骨が安置されている実家にて蔵書を発掘。2冊。

梶井基次郎全集(ちくま文庫)「雪後」に引用された、
チェーホフの短篇「たわむれ」より。


「乗せてあげよう」
少年が少女を橇に誘う。二人は汗を出して長い傾斜を牽いてあがった。
そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。
首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはお前を愛している」
ふと少女はそんな囁きを風の中に聞いた。胸がドキドキした。
しかし速力が緩み、風の唸りが消え、なだらかに橇が止まる頃には、
それが空耳だったという疑惑が立罩める。
「どうだったい」
晴ばれとした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。
――首巻がはためき出した。
ビュビュ、風が唸って過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
少女は溜息をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
しかし何度試みても同じことだった。泣きそうになって少女は別れた。そして永遠に。
――二人は離ればなれの町に住むようになり、離ればなれに結婚した。
――年老いても二人はその日の雪滑りを忘れなかった。――


大学時代、国文学(当時。イマドキは「日本文学」ですよね)の
必修テキストだったのだ。
テキスト自体もよいが、飛高先生の講義もよかったんだよなー
それでこのフレーズが今に至るまで記憶に残っていたのだ。
解説するのも野暮ですが、ラストの一文で「二人は」とあるのがポイントです…。
ウィキでチェーホフを検索。まさにこの「たわむれ」についてのHPがあり、
そちらでチェーホフ版全容を確認することができます。ちなみに原本は少年の一人称。
両者を比較すると、読後感が若干異なります(私は)。上記引用のラストの一文は
作品について梶井の解釈が反映された上で、直言を避けた、
こういう表現になったのだなぁと。
梶井意訳の方がロマンチックで、こっちの方が好きかも。
というか、先にこちらで読んでよかったとすら思える。
両者を読み比べた方は、どちらがお好みでしたか?


もう一冊。こちらは社会人になってから読んだ、尾崎翠全集。
有名なフレーズだよなーと思っていましたが、出典が長らく思い出せず。
「花束」を読んだ時の記憶が鮮烈なのですが、
自分にとって尾崎翠は追憶の人、という印象。
尾崎1896(明治29)年生まれ、梶井1901生まれ。
チェーホフはこの世代に影響力あったんだね。
「地下室アントンの一夜」とか。
しかし、昔の方が読書傾向の振り幅広いな。反省。頑張ります。
では、ちくま日本文学全集尾崎翠」所収、「歩行」冒頭より。


おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ


おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ
               (よみ人知らず)