とことこ編集者雑記

47歳バツなし独身乙女座A型トイプーふたご飼い。出版社勤務ですが編集部門から離れた、のか? とりあえずはてなブログにお引っ越し

母 二題

その一「氏より育ち」

30代になりたての頃。とあるタイミングで実家に帰った。
「早く結婚して、孫の顔を見せてちょうだい」的プレッシャーをかける両親では
ないのだが、それよりはむしろ、30代になっても「契約社員
(※恐ろしいことに、あと4か月弱で40歳になる今もですが)であることに
「この子は大丈夫なの?」と懸念するものがあったらしく。
というか「この子は結婚なんかできそうにないだろう」という
読みがあったからこそ「経済の安定」が大事だと思ったのかどうか、
雑談の流れから、十年一日のごとく言われ続けている、いつものお小言が始まった。
「まったくあんたはいつまでも、親に心配ばっかりかけて。
どうしてこうなっちゃったのかしらね、小さい頃はあんなにいい子だったのに」。
就職問題では新卒時に家族と大モメしたのが流転人生のきっかけとも言えたので
「原因作っておいて何言ってんだか」と虫の居所が悪くなった自分は、冗談のつもりで
「そんなに『小さい頃はいい子だった』んなら、じゃあ育て方に失敗したんじゃん?」
すると。
居たたまれそうな表情のまま、母は無言で視線をそらした。

……………!!!


その二「三つ子の魂百まで」

上記から遡ること20余年、8歳ごろのこと。側溝にはまりざま、
有刺鉄線に右腕をひっかけ平均7cmほどの長さの傷が、約1cm間隔で4本できた。
小学校低学年。家に包帯などなく、何枚も何枚もハサミで切り貼りして、ガーゼの部分が
傷口を覆うような長い絆創膏を作った。玄関からすぐの、テレビを見る人がいなければ
普段は人の居ない応接間で、明かりもつけず、誰にもバレないように
(当時は母方の祖父母と同居)。
今でもこの時の「ドアを開けられたら、明かりがつく前に絆創膏を隠さなきゃ」と
思っていた気持ちを覚えている。2日ほどして、傷が母に見つかった。

「どうしてこんな大きなケガ、黙ってたの!」
「だって、怒られると思ったんだもん…」

その時の母の、何とも言えない顔が、いまだに忘れられない。
…と書くと本当っぽいが、それは嘘で。
母の表情は覚えてません。
記憶がないということは。たぶん、顔を見ることができずに、うつむいていたのかと。
ただ。
いつもの「バカねぇ、何言ってるの」の口グセが返ってくるまでに、一瞬、間が空いた。
この会話は今に至るまで、遂に忘れられない記憶となってしまった。

結果的に。薄く2か所、爪あと程度。そしてハッキリと1本、3cm強の傷が残った。
跡は残ったが、痛みはもう、ない。

明日は母の日。

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