読んだもの雑記

主に漫画の感想を書いていきます

鷺沢萠の「無頼」

特にトピックがなければ葉桜忌が来たとてブログの更新はしない。

今年の「青春と読書」2月号に四方田犬彦が連載コラムで鷺沢萠を取り上げ、

ある程度「やっぱりな」という感想を持つに至ったので、それについて。

ざっくり要約すると…

 

・試写会の後に公開対談のイベントで初めて顔を合わせた

 2人とも韓国への留学経験がある

・対談が終わり、韓国料理店で鷺沢はどんどんメニューを注文する

 「これが本当の食べ方だ」とムルキムチにケジャンを入れてかき回す

・乾杯直後に麻雀の誘いの電話が入る。携帯を切った彼女は

 「急用ができたので、ここで失礼します」と席を立つ

・配給会社の社長と自分は真っ赤になったムルキムチの椀を挟んで途方に暮れる

 

という。ざっと検索してみても「ケジャンはムルキムチにひたそう」的な

食べ方は出てこないので

①留学中に誰かにかつがれた ②留学先で本当に局地的に流行っていた

③自分が発案して「これが通の食べ方」として披露しようと思った

あたりかと思いつつ、まぁ①が真相なのではないかと。

記述から察するに95年の出来事で当時28歳。

その2年後に第117回芥川賞候補となる「君はこの国を好きか」を発表する。

4回目、そして最後の候補であった。

 

片や故人で当の本人は反論できず、

しかもググると四方田も話を盛るタイプ()ではあるようだが

鷺沢の印象を

・危なっかしい ・わざと粗暴に振舞っている 

・「それが韓国流」と思って自分を重ね、韓国人になろうとしたのでは

と記している。近年は小説が圧倒的に読まれているが、90年代の鷺沢は

小説とエッセイの2本柱で、文芸誌を離れた分、雑誌のエッセイや

新刊インタビューなどで顔写真と共に言動に触れられる機会が多かった。

今となっては「(エッセイでははっちゃけてるけど本当は)繊細な美貌の小説家」の

(  )の部分が、単行本などに収録されないまま忘れられそうになっている。

いやいや、エッセイ集結構出てますよと後世の人は思うだろうが、

書籍には収録されていないananでのコメントだったり、

それこそ一時期はTBS土曜夜10:00~の「ブロードキャスター」に

ゲストコメンテーターとして出演したりで、

吉本ばななよりも媒体への出演は多かった印象。

ちなみに同年(87年)デビュー・同世代(4歳違い)の女性作家で

89年の年間一位(『TSUGUMI』)・二位(『キッチン』)の売上を叩き出した

吉本ばななよりも登場回数が多いって相当ですよ

(そりゃ記事として取り沙汰されるのは吉本ばななの方が多いですが)。

文芸書を読まない人からすると「この人たまにテレビで見かけるけど

何(代表作)書いてる人なんだろ」的位置づけだったかと。

さてエッセイは「理不尽なコトに物申す」トーンが印象的だが、

そういう本人が無意識に「やらかしてる」のでは? と思える節もあり、没後20年にして

まとまった形の初耳エピソードが投下されるにあたり、深く得心したのであった。

 

ここから先は推測。

90年代/若い女/麻雀 といえばもう圧倒的に西原理恵子

10人いれば9人がサイバラ、1人がTBSを見ていて鷺沢を挙げるかどうか(いや厳しいか)。     

SPA!を読んでいれば「くらたま倉田真由美を挙げていたでしょう。

まだファミコンは子供のもので、大人は「近代麻雀」や類誌を読んでました。

結婚前の西原理恵子は、麻雀を選んだこともあり

「男の中に女が1人」状態のエッセイ漫画が多く

木村千歌はレートが跳ね上がった後半、登場しなくなった)、

インテリやヤカラ、同世代からシニアまで満遍なく愛されていた(ように読めた)。

実際に交流が広いから、ヘアヌードで儲かり「ケケ書房」と言われていた

竹書房近代麻雀ゴールド」でカモられまくる「まあじゃんほうろうき」を描くと同時に

インテリ左派御用達の朝ジャよりはノンポリな「週刊朝日」で「恨ミシュラン」を連載している。

バブルが弾けても敷居が高いままの高級飲食店に「こんな店二度と来るか」

「私には金はないけど媒体がある」とタンカを切る体のコミックエッセイだが、

鷺沢は「私も私も」と挙手したそうである(出典を探すのを怠っておく)。

鷺沢は初の単行本が今でいうパリピを描いた『少年たちの終わらない夜』だったこともあり

バブル期に金回りのいい大学時代を過ごしているイメージだが

作家デビュー前に父の経営する出版社が破産、高校の学費も2年分は

バイト代でまかなった。作家業が軌道に乗るまでは金銭的苦労が大きかった。

そして西原も鷺沢も大学受験期に「父(西原は養父)」を喪っている。

 

90年代も後半になると「おごってジャンケン隊」(編集はサイバラも担当している

八巻氏)、くらたまなど、フォロワーが登場し始めた。

そんな中、最も早くサイバラの生き方を部分的に「真似た」のが90年代中盤の

鷺沢ではないだろうか。サイバラが貧乏だった生家や、成績が悪い子供時代を

自虐的に語るのと、鷺沢が父の事業が倒産したことや、バイトざんまいで

子供らしく過ごせなかった日々を自虐的に語るのは相似形に見える。

言うて土佐の経済的に不安定な家と、世田谷の(元)豪邸住まいとでは

明らかにタイプが異なるのだが「麻雀のツキのなさ」を嘆くなら

自身を損なうことなく存分に自虐することができる。

見え方として「当時最年少で芥川賞作家輩出誌『文學界』でのデビュー・

推薦で上智大入学・21歳で結婚(23歳で離婚)・美少女作家と呼ばれる…」と、

いい牌が揃っているのに自虐されても、もはや嫌味にしかならない。

「女の無頼はサイバラひとりで十分」と、いしかわじゅんは言った。

そもそもの話、なぜサイバラの芸域(麻雀カモられ)に参入したか。

サイバラが描くものが好きだったから。

サイバラのようになりたい部分があったから。

ではなぜ「韓国人」のように振舞ったのか。

それは。

 

話は戻って四方田犬彦エッセイ。

鷺沢もエッセイについては四方田同様話を盛るタイプだった模様()。

鷺沢の小説については

「数年前には文庫が出たが、読み継がれる作品はあるだろうか」と

やや厳しい見解を示している。21年に声優・斉藤壮馬の河出書房キャンペーンで

前出の「少年」が復刊されたが、ここで指しているのはそれではなく

18年に講談社学芸文庫から出た「帰れぬ人びと」のことかと思われ。

これについては、もう少し時の流れを待つしかない。

佐藤泰志のように生前ほぼ無名(失礼)→没後20年で映画化されるケースもあるわけで。

「時々『父は何も知らずに死んでしまったな』と思うことがあるんです」と

インタビューに答えているのを読みました。ブログやスマホはおろか

冬のソナタ」ブームも知らぬままで去ったことを思うと

「あなたこそ」と声をかけたくなります。

何も知らずに死んでしまったな。

それはあなたであり、明日の私であるやもしれず。

私の場合は、だから生きていられるのかも。この項終わり。