読んだもの雑記

主に漫画の感想を書いていきます

斉藤由貴について考えたこと、その他

主に斉藤由貴まわりについて、思ったことなど。

ソースも貼りますが、裏取りがWikiだったり、

ネットの書き込みで見かけて今検索しても出てこないネタ等あるかもです。敬称略。

 

斉藤由貴デビュー前夜

沢口靖子は音痴、斉藤由貴は補欠…伝説のマネが明かす「東宝シンデレラ」秘話(2ページ目) | デイリー新潮

「コンサートすればするほど赤字」等、話者の斉藤に対する冷たさに鼻白む。

 

落選者斉藤に声掛けしたカメラマン・野村誠一

写真家・野村誠一氏注目の女性 斉藤由貴など次々人気者に|NEWSポストセブン

 

応募写真について語る斉藤

デビュー30周年 斉藤由貴が大切にするミスマガジン応募写真|日刊ゲンダイDIGITAL

 

第1回東宝「シンデレラ」オーディションはグランプリの副賞に

当時飛ぶ鳥落とす勢いだった武田鉄矢主演「刑事物語Ⅱ 潮騒の詩」

ヒロイン役があり、斉藤でほぼ決だったものが武田の意向でひっくり返された説

あり。個人ブログ貼らせていただきます。。

スーパー戦隊シリーズ全話視聴 「第1回 東宝シンデレラ オーディション」(84.1/29)

こちらのブログやコメントに書かれていますが、89年までの斉藤は東宝の後押しもあり

「国民的女優」に限りなく近いところにいたかと。サラッと書くだけでも

・86年 「はね駒」朝ドラ主演、平均視聴率41.7%

     紅白歌合戦 最年少(当時)紅組キャプテン

・87年 「レ・ミゼラブル」(日本初上演)コゼット役

    ※初日は現上皇夫妻と今上陛下が観覧

・88年 「花園の迷宮」主演(日本テレビ開局35年記念ドラマ)

    「優駿」主演(フジテレビ開局30年記念映画)

    「女優時代」主演(よみうりテレビ開局30年記念ドラマ)

・89年 「夢の中へ」本人最大ヒット(40.8万枚)

    「叫んでも…聞こえない」主演(24時間テレビスペシャルドラマ)

…このあたりまでが「順風満帆」と言えるところでしょうか。

NHKでの活躍は広く見聞されていますが、今となっては発掘しないと出てこない

「テレビ局の周年記念ドラマ・映画」を1人の女優が掛け持ちしています。

レミゼの件は当時すでに「アイドルがミュージカルできんの?」と言われていたし

実際大変だったと思いますが、そこは提供元が東宝ですから。

ごり押し承知で斉藤さんがキャスティングされたんだと思います。

同年は映画「トットチャンネル」黒柳徹子役で主演。

1981年「窓ぎわのトットちゃん」は800万部、戦後最大のベストセラーでありつつ

2017年に抜粋の形で連ドラになるまで映像化が実現しなかった。

ただしその実質的な続編となる「トットチャンネル」の主演を務めています。

 

家で見られる動画はテレビ(と録画したテレビ番組とレンタルした映画のVHS)しか

なかった時代。80年代後半は明菜・おニャン子・四天王・Winkがヒットチャートを

賑わせており、比べると斉藤の実績は埋もれます。が、メディアの席巻具合が

ハンパなかった。南野もCM数は凌駕しましたし、女優活動も頑張って

88年放映で大河歴代最高視聴率を誇る「武田信玄」のヒロイン役も務めましたが、

それだけの実績があってもついぞ今日にいたるまで紅白未出場です。

そう思うと売り上げや人気だけでは測れない「運営周りの事情」があるのだなぁと。

 

80年「セーラー服と機関銃」の爆発的なヒット、なんなら松田聖子「風は秋色」より

売れたのに露出を絞ってファンに渇望感を与えた薬師丸ひろ子も

結婚前の人気絶頂期には紅白に出られず、85年20歳で角川春樹事務所から独立。

東映配給で主演しますが2作目「紳士同盟」(86年)で減速。以降熱狂的人気は

落ち着き、91年26歳で結婚後はマイペースな仕事ぶりとなります。

角川映画は大ブームでしたが新興の映画会社で、かつ角川春樹もヤマ師だった。

角川主導で「国民的女優」を目的地にするルートを持っていなかった感がありますし

ご本人も「女優やめよう」からの独立で、そういう野心はなかったように思います。

人気絶頂期に休業の上大学進学、すわ「第二の吉永小百合ルートか?」という

報道と期待はあったかと記憶しますが、ノースキャンダルでも人気鎮静。難しい。

 

さて、斉藤は順調なまま行くと思われた89年。

昭和→平成となり、それが契機ではないと思いますが

ベストテンや夜ヒット等の音楽番組終了・バンドブームに移行・

88年12月には今再注目の「光GENJIへ」刊行と

「今まで脚光を浴びてきた人たちが一斉に『もう古くない?』側に回る」ムーブが

始まってしまったように思います。

個人的に印象深いのは、この年の森高千里の躍進。

7月に中森明菜が一線から引き、売上頭が休業に入ったワーナーパイオニア。

同じ7月に「17才」でザ・ベストテンにもランクインした

自社アーティストの森高千里に白羽の矢を立て

「見て~スペシャル~」等のLDを秋葉原でかけまくった。

うーん…まぁハッキリと芸能界の潮目が変わったかな…この年…。

斉藤は新境地で90年には「野田秀樹のから騒ぎ」に出演するも、

以降野田に呼ばれることはなく、4月公開「香港パラダイス」も惨敗。

ただし3月には月刊カドカワの連載をまとめた著作「運命の女」を上梓。

文筆活動の比重が上がってきたところに11月号の企画で尾崎豊との対談が

行われてしまったのですね…。91年3月に初スクープ、5月に単独会見。

ここで「同志」発言が出ます。パラッとネットで見聞きした内容だと

尾崎が口説きにかかって、斉藤が本気になってしまった…な経緯だったかと。。

年末には「破局?」報道があり、翌年4月に尾崎の訃報が出ます。

この頃私は森高に夢中で(森高ランド・古今東西のライブに行ってました)、

斉藤さんの動きはあまり追っていませんでしたが

この時期に非常に印象深い番組が2つありました。

ひとつはご本人も語っている

92年2月、カネボウヒューマンスペシャルの単発ドラマ「終の夏かは」。

デビュー30周年の斉藤由貴、原動力となる"依頼萌え"とは? 「本当の自分」になれる女優業と意外な交友関係【後編】 | マイナビニュース

2015年の記事ですが、30周年インタビューで印象に残るドラマを問われた1発目に

挙げられています。もう1つは3月に放映されたドキュメンタリー

『別離の歌~飛騨高山の早春賦・「白線流し」~』。ナレーションを務めています。

夏に踏切事故で大切な存在だった同級生を亡くし自衛隊へ進路を定める生徒や

大学受験に惑う高3生たちを追い、最終的に白線流しの様子までを撮ったものです。

死の影が濃い2作の直後の訃報。同年6月上梓の初小説集「透明な水」。

後書きは4月末日とあり、この日は尾崎の葬儀当日。

最後の1行で簡潔に感謝の言葉を述べています。

 

映画女優として主演を張れたのは91年まででした。

ここで「国民的女優」路線終了。それでも、身辺が騒がしくなる中で

同年8月には「愛と哀しみのサハリン」、10月には「新十津川物語 明治編」と

社会派ドラマには起用されます。しかし世間が「東京ラブストーリー」で賑わう中、

思想信条的にキスシーンNGでラブストーリーに起用しづらく、

明治時代の水害やサハリン残留邦人のドラマに主演というのは重い…。

(3ページ目)感動ポルノについて「ええ、知ってます」――『24時間テレビ』生みの親にネットでの批判について聞いてみた | 文春オンライン

92年は日テレ・テレ朝メインで連ドラ主演をこなします。

「私がオバさんになっても」はこの時の斉藤主演ドラマの主題歌だったと

記憶している人はどれだけいるでしょうか…

80年代アイドル自作詞で一番有名だよね、このシングル…。

 

騒動以後、あれだけあったCMは雲散霧消。それでも東宝のバーターで

93年にローソンのCM(星由里子・越智静香出演バージョンや、

ドラマ「HOTEL」シリーズで好感度を上げた高嶋政伸らと共演)に起用されたものの、

その真っ最中の7月に川崎麻世とのスクープ。

川崎が結果的に面白会見になったこともあり、

これで今後は「キワモノ女優」扱いされるようになっても

もうしょうがないのかな、と当時思いました。

そして10月スタートの「同窓会」が伝説のドラマに。

2017年の不倫騒動の際に脚本家・井沢満が当時のことをブログに

書き残しています。なんという副産物。

「同窓会」誕生のきっかけ - 井沢満ブログ

こっちでは東宝つながりで高嶋政宏が共演してますね。

同クールの月9は「あすなろ白書」。いやもう完全に世代交代。

そしてプライベートでは9月に今の夫となる人と初顔合わせ(結婚前提かと)、

翌94年10月に結婚宣言、12月に挙式。現在に至る。

 

東宝の推し女優はずいぶん前から長澤まさみに移行。

東宝配給作品では初期をのぞいて基本的に主役かヒロイン役。

広末も早大進学で「第二の吉永小百合」路線、期待されたと思いますがまぁ。

個人的には斉藤の上位互換的な存在は松たか子で、紅白最年少キャプテン記録の更新や

小田和正「クリスマスの約束」ナレーター後任とか。かつ、何が上位かというと

高麗屋のお嬢さまな出自。舞台でも野田三谷作品の常連でドラマでは坂本作品の常連。

いやみなくキムタク主演ドラマのヒロインができて、男女からフラットに人気がある。

お年寄りにとっては「白鸚の娘」、「アナ雪」で子供たちのハートもキャッチ。

坂本脚本がマニアからの熱い高評価を得がちで「今シーズン最高視聴率!」とかには

ならないんですが、うん、松たか子、やっぱ最強かな…。

 

接点なさそうな薬師丸と南野について語る前に。

今に至るまで吉永小百合(78歳)の主演映画は作られています。

他にお芝居がうまい女優さんはいらっしゃいますが、

彼女は「主演します」となったら映画会社はさておき

サユリストなスポンサーが動いて1本作れちゃうし興行収入もそこそこ出せる。

翻って、大竹しのぶが2016年(59歳)で「後妻業」、

田中裕子が2020年(65歳)で「おらおらでひとりいぐも」、

22年「千夜、一夜」で主演していますが、ヒットしたかと申しますと。

今50代で主演映画が撮れる女優は天海祐希一択なのか…?

まぁ安牌な主演女優がいるに敷くなはし。先ほどチラッと触れた

薬師丸は東映配給2作目「紳士同盟」(86年)が配給収入9.5億円。

87年2月、南野は「スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説」(97年)が6.3億円。

同年12月に「はいからさんが通る」で12.5億円と伸びしろを見せます。

当時を覚えている人なら誰でもそう思うと思いますが

「薬師丸=角川映画」なので角川映画の実績を超えてくるようでなければ、

「東映の看板女優」として担ぎづらいというのはあったかと

(それまでの角川映画の配給が東映だったとしても)。

それよりは「スケバン刑事Ⅱ」で本格的に主演のキャリアを

スタートさせた南野の方が「東映育ち」とは言えるわけで。独立騒動で

アンタッチャブルな気配が出る前も出た後も「菩提樹」(88年)、

「寒椿」(92年)、「私を抱いて、そしてキスして」(92年)と

東映が(というか岡田茂社長が)主演を任せています。

まぁ92年のエスワン・カンパニー倒産による借金返済の側面が

後者の2作にはあるのですが。

そもそも東映は86年「夢千代日記」で吉永本人といい関係が作れていたから

慌てて「ポスト吉永小百合」を探す必要がなかった。

松竹は「寅さん」という安定収入ドル箱があり、

東宝は「伊豆の踊子」(75年)以降、久しぶりに「ハイティーン・ブギ」(82年)、

「プルメリアの伝説」(83年)とアイドル路線が当たったことだし…と

自社でタレント募集に踏み切った側面もあると思います。

 

「同世代の中では斉藤由貴が一番人気と実力があって、数字も持っていた」

と言いたいわけではないのは、おわかりいただけますでしょうか。

同期のシンデレラを退け、社内上層部を実績で黙らせ、

国民的女優になろうと思えばなれるお膳立てを整えるところまで行かせて、

かなり近い場所まで手が届いていたのに、最終的には届かなかった。

それ以上でも以下でもありません。

 

斉藤にスキャンダルがないまま結婚していたら。

ディズニー映画日本版のキャストやベストマザー賞的な名誉職あたりには

困らなかったと思われ。主演映画も作られ続けていたんでは。

熱狂的なファンは持っていたから。ああ。

ただもし、結婚前のスキャンダルがない状態でW不倫が発覚していたら、

今の無風状態はありえないくらい叩かれていたと思うし。

2017年の報道で最も強く印象に残ったのは、お好み焼き店での逢瀬で

もうじき出る映画の話をしていたこと(「蜜蜂と遠雷」「最初の晩餐」かと)。

夫婦が仲良かったら、夫婦で話してる内容だよなぁと、

自分は結婚したこともないのに思いました。

デビュー当初からモルモン教信者であることを公言し、

カフェインNG等の規律がこれまでの仕事には支障をきたさなかったとしても

「離婚したいのに教義上できない」のだとしたら、

「この人も宗教三世なんだよな…」とは思うわけで。いやーどうなんでしょ。

 

とりあえず(中止にならなければ)今年もクリスマスライブには行きます。

無党派層は完全に離れたうえで、今のファンが残っているはず。

この報道を受けてキャンセルする人、今更いないだろ。

追撃取材で自宅近所の立ち話画像では、靴はエルメスのパリ、

バッグはNapAのマザーバッグで大人用おむつのパックを手にしているという

それはそれで「何が起きてるの?」な印象。

今年の「大奥」春日局役、末期のキモになるセリフが

本番での斉藤のアドリブだったと知り仰天した覚えがあります。

「斉藤由貴は嫌いだけど『大奥』だから、まぁ見るか」という方も

いらっしゃったはずで、そういう方々をこそ唸らせるような、

原作ファンにも大好評だったあのシーン、あの演技。

いやースキャンダルでかき消されちゃったらホント惜しい。

ライブありますように…この項終わり。