読んだもの雑記

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斉藤由貴デビュー30周年コンサートに行ってきた!

だいーぶあれから時間が経ちましたが表題の件。
3/14土 斉藤由貴デビュー30周年記念コンサート
「ゲスト:谷山浩子」の回に行って参りました。至福。

「好きな歌手」のコンサートにたいてい1度は足を運んでいるのですが、
サイトーさんは初参戦でした。
思えば25周年コンサートの際、チケット取ってたのに
行くのスッパリ忘れてた、という惨劇から早4年
(その時もヒロコさん回を取っていた)。
あーあの時はギリギリ震災前だったのね…ついにリベンジでございます。
率直な感想。曲のラインナップ
(25周年の時は「SORAMIMI」歌ったとか)といい
パンフレットといい、やはり目の前にあった機会は逃しちゃいけなかったのね、
という教訓に。でも土曜日の夜に生「土曜日のタマネギ」が聴けて幸せ。
現役アイドル時代とは、そりゃまったく同じではないですが
声は当初予想よりよく響いてきました。
そして前回のアルバムで「おうちでかくれんぼ」ほか、
今回のアルバムでも「窓あかり」とヒロコさん提供曲があり。
割とオーダーから全然違う曲を打ち返しているんですよね。
「銀河通信」調をリクエストされて「のらねこ」とか。
今回も「恋の歌」がテーマの1枚なのに「窓あかり」とか
(「よその子」や「家族の食卓」を連想させる情景)。
はてはて、と思っていましたがゲストトークを聞いたことで、
ヒロコさんのもくろみはさておき、
個人的には腑に落ちるものがありました。


(記憶による意訳)
「あの、まだ10代だった、生意気だった、不安定だった由貴ちゃんが
いつの間にか結婚して子供を産んで、しっかりお母さんになっている。
お子さんのお弁当を作るために朝5時起きしているという。
なんというか、私と同じカテゴリーにいるかと思っていたのに
『あっちの世界』へ行ってしまったというか」。


で、コンサートが終わったあたりから
怒濤のように「30周年記念インタビュー」がネットニュースに流れて、
そこでもだいたい「子供の話」は出てきていて。
うーん、これだけ「プライベートではよき母」像が出ているところで
本人が歌手として「恋の歌」を歌いたかったとしても、
スタンダードナンバーを英語で歌うまでならともかくオリジナルの日本語詞だと
生身の斉藤由貴と切り分けて鑑賞するのが難しいかな、と思ったのです。
役柄ならね、ワンクッション入るんですが。
自作詞の高水準が褒めそやされるサイトーさんですが、当時の恋愛話が
ほぼリアルタイムで反映されている歌詞もあったりで、
やはり「叙情」の人なんですよ。「叙事」ではなく。
今「サイトーさんが歌うラブソング」を聞いても
「はいはいイケメンダンナのノロケノロケ」と思ってしまいそうで
(ダンナLOVEを語っているインタビューはコチラ)。
「ダンナ愛をのろけて何が悪い」という向きもありましょうが、
個人的には武部聡志編曲時代(シングル「ORACION」、
アルバム「TO YOU」まで、つまり88年末までですね)の楽曲の方が、
いろいろと抑制が効いていると思うので。
まぁ好みの問題です。。
もうしばらくは「母な歌」が続くのかな。
その後のサイトーさんも見てみたいですが。


余談だが、マイナビニュース3/22掲載の斉藤由貴インタビュー
演じた中で好きな作品を問われて、
1作目に92年2/18放映カネボウヒューマンスペシャル
「終(つい)の夏かは」を挙げている。
女性を対象としたノンフィクションコンテストで
大賞を受賞した筆者の古越富美恵さんは悪性腫瘍で12歳の時に片足を切断。
経験を踏まえ「人の役に立ちたい」と医療ソーシャルワーカーとして
自立するも、後に乳がん発覚、さらに転移。
「これが人生最後の夏かもしれない」という予感と覚悟の中。
患者を支える立場である職業人と、患者の立場になった自身と、
2つの視点を重ねつつ家族や友人に自分の死を受け入れてもらうために
執筆、大賞を得た。
大賞受賞は91年3月、そして91年10月に逝去。
生前、受賞式の際「自分の結婚式はないと思うので、この場を借りて」
と前置きして、渡された花束をともに出席していた
両親に「花束贈呈」していた様子が、
裏話として放映された。
斉藤も本人役を熱演。連ドラではなく単発の2時間ドラマだったが、
検索すると、「1回しか見ていないのに」と前置きしつつ
当時の感想を書いているブログが
いくつか散見されるほどに、見る者の感慨を残した作品となった。
同年3/29放映の、やはりドキュメンタリー
「別離の歌〜飛騨高山の早春賦・「白線流し」〜」では
斉藤はナレーションを務めている。
舞台はドラマ「白線流し」の元ネタである斐太高等学校。
生徒たちを追ったその青春群像の中に
「踏切事故で亡くした彼女を、守ってあげられなかったから」
という理由で自衛隊に入隊する男子生徒がいた。
斉藤の冒頭のナレーションはこうだ。


思い出してください。
あの日、
あの別れの日を。
そして、あの旅立ちの日を……。


92年、早春。
「終の夏かは」「別離の歌」。
長いキャリアの中で偶然にも、死の影をまとった作品が続いてしまった。
そんな時期があったことを、
劇場を駆け回り「悲しみよ こんにちは」を歌う斉藤由貴を見ながら、
ぼんやりと思い出していた。
今が元気なら、それでいいのです。それだけでいいのです。