読んだもの雑記

主に漫画の感想を書いていきます

「フラワー・オブ・ライフ」完結 感想 拾遺

更新をお休みしている間に「フラワー〜」について、
フォローをいただきました。
自分も、雑誌掲載時の初見では↑さん同様
「父ちゃんの顔を見て我に返った」と思いましたが、
「外にまで声が聞こえてんぞ!!」という父ちゃんのセリフのコマから
3コマ挟んで(=一拍置いて)、
しかも父ちゃんの顔を見ながら(と解釈しました)
「………!」と表情が歪んだことにより→「聞こえてた?…バレた!」と
さくらねえちゃんが早合点した、そして自白に至ったような気がしたのです。
とゆーか、それは紛れもなくリアル・オレの思考回路だろ。
沈黙に耐えかねて、とりあえず叱られる前に謝っとけ
(それもエライ人の方に)、みたいな。
少なくともmnsnさんのように
「さくらが本当に恐れているのは約束を破ることというより、春太郎を
傷つけてしまうことであり、」てな意を示す文章は、
感想をアップしている時には
どこをどう押しても出てこなかったというべきか。
おそらく、勝手な推察ではmnsnさんと私とで
「一番しちゃいけないのは春太郎を傷つけること」という点においては
共通の認識があるような気がします。
ただ、雑誌掲載時の感想でも触れましたが、単行本P135の2コマめ
「あんたがかわいそうだと思って 知らせないでいたんだから!!」と
言い放った瞬間の、醜い感情を宿したさくらねえちゃんの表情が
よく描けてるなぁと思い(だから言及した)、
つまり「春太郎を一番傷つけるのは、真実を告げること」
だとわかっていたからこそ、
確信犯(←誤用)で言っちゃったんだなぁ…と思われる、
さくらねえちゃんの心情にシンパシーを感じました。
なので「こう言ったら、こうダメージを受けるだろう」と
知りながら遂行した犯行現場に踏み込まれて。
衝動的ではあるんだけれども
未必の故意というよりはハッキリと殺意があった(比喩)、
「我に返った」というよりは
「傷つけてやろうとして言った、それがバレた」。
だからそれも私の思考回路だっつう。……。


あ― ――  ――― ――――  ―――――  ←仰向けで落下中。


話が飛ぶようで飛んでいないつもりですが、
昔から「国語」の授業が好きでした。
それは物語を知ることが、
他ならぬ「未知の自分」を知ることにつながるから。
そして、自分を知ることで、他人を知ることができるから
(=わかる、ではない。ましてや=共感する・賛同する、でもない)。
他人を知った上で「ならば自分はどうすべきか」に思いを馳せる。
物語を味わうことは、他人と交錯するところまで辿り着いて、
ようやく完結するものだという気がします。
「作者と自分」だけの対話ではなしに。いやマジでmnsnさんと私とで
大きなブレはないと思いますよ? ただ、近いことを感じていながらも
言及する内容に違いが出たり
(この場合、私にとっては、どのタイミングで
「父ちゃん」が事実を把握したかは、さほど重要ではない)。
解釈はもとより、その表出の仕方も含めて
「文は人なり」といったところなのでしょう。
mnsnさん、ありがとうございました!
と、コメントやトラバなどはせず、
例によって自分のブログに延々と書き連ねてみるのでした。