読んだもの雑記

主に漫画の感想を書いていきます

「魔法使いの娘ニ非ズ」完結!

えーと今日書店で買いました。早売りではないと思います。

著者インタビューありの小冊子目当てで「WINGS」2月号を買っており

最終回だけ読んでいて「ん? 無山はどうしてこんなことに??」などなど

疑問山積でしたが、最終刊を通して読んで、なるほど納得。

初音、パパ、兵吾、無畏さん、

無印では無畏と一緒に死のうとしたのに、「非ズ」では…の操名。

みんなハッピーエンドに向かって

「こうなったらいいな」「こうした方がいいな」という方向に歩み出す。

ただ、一読者としては、その「こう」を「そう来る?」という方向に

(特にラストシーン)、しかしキチンと整合性のある場所に

ポンと着地させるのが、さすがのストーリーテラー・那州さん。

未消化の伏線はないと思います…たぶん。

主要人物の中で、小八汰の「自らの手で無山を殺す」という願いだけは

叶ってません。なので小八汰は表紙にいないのかも。

で、タイトルをかみしめますに

「魔法使いノ娘」ニ非ズ=私自身が魔法使い、

に成長していく物語なのだなーと思っていましたが、

「魔法使い」ノ娘ニ非ズという、つまり父はついに…という意味も

隠されていたのだな、とようやく解釈いたしました。

自分は相当凡庸なので「日常生活では同居している娘夫婦(主に娘)に

叱られてばかり。でも、娘夫婦に生まれた、孫にあたる幼児に

『おかあさんとおとうさんにはナイショだよ』と、

手品のように失せ物をこっそり取り出してみせる白髪のパパ」という

家庭の団らんの図、あたりで物語が閉じられるといいなーとか

思ってましたが、そんな甘いシーンで終わるわけがなかった。。

「娘」が隠された嘘を暴き、決着をつける物語だったのに対し

「非ズ」は変えたいのになかなか変われない自分と、

そして他者とどう向き合うか、という物語なので、

カタルシスでは「娘」の方が上かと。

ただ、多くの人は「このままじゃ、なんかいけないんじゃないか」と

思いながらも何かを少し変えたり元に戻したりしながら

日々を暮らしているかと思うし、物事の「決着」はつかなくても

自分で「ケジメ」をつけることはできるのだなぁと。

 

以前この日記で「フラワーデストロイヤー」について触れました。

シリーズ最終作「ダーク・エイジ」(91年作品)では

「花」の香りで超能力に目覚めた優等生が念動力を発動させ

瓦礫で繭を作り閉じ籠もった時に、主人公・智恵は呼びかけます。

「自分で出てきてくれなきゃ 何もできないのよ!

わかってるでしょう!?

それはあなたにしか壊せないんだよ、鳥井さん!」

物語の終盤、初音は答えます。

「それじゃダメなの!

あたしが自分でやらなきゃ…」

85年デビューの那州さんですが、本当にブレない。

「娘」の終盤では「おとうさん」を下ろしたわけですが、

先に述べた操名と同様、初音も「非ズ」では変わりました。

今のままではいけない、変わらなければ…という思いを抱き続けて

いつの日か。「魔法使い」シリーズは完結しましたが

私たちは歩き続けなければならず、道に迷った時には

その都度この物語を手に取ろうかと思います。

 

以下余談。

「娘」第1話が02年7月号なので、約15年にわたるシリーズが完結!

あと1ヶ月しないうちに「シュトヘル」最終巻は出るし

(こちらは09年連載開始)、立て続けの長期連載完結はさびしいなぁ。

とはいえ「キッチリ完結するのは◎」という評価もございます。

他に今買っている長期連載は「将国のアルタイル」(これも最終章だ)、

「大奥」「きのう何食べた?」、あと「おおきく振りかぶって」。

「大奥」は15巻完結説が出て今14巻ですが、本当に終わるんでしょうか。

そして、自分が初めて読んだ「ドカベン」の当時の最新刊は

「初優勝した深紅の大優勝旗が、明訓高校の校長室から盗まれた」

エピソードが入った22巻なので、それを思うと

「おお振り」もまだまだ序盤です。全然OKです。

そんなこんなで、この項終わり。