読んだもの雑記

主に漫画の感想を書いていきます

「リバーズ・エッジ」主題歌の件

映画化のニュースは聞いてましたが、オザケン主題歌。
先行して歌詞公開とのこと、珍しいな…と思って
サイトに見に行ってみた、ら…。
「僕の彼女」、「古い友」、特定余裕。
「僕とつき合った後に彼と結婚して
出産して離婚した」とな。ここまで書く必要とは。
 むしろ「君」の方が一瞬わからなくて
「年上」? 「ベレー帽」! で「オカキョン」じゃん、と。

コンサート会場や世田谷美術展のゲリラライブなど
局面局面で岡崎さんの存在が登場しています。
オカキョンが5歳上。そのくらいならカップルになることも、
ままあるかと思える年齢差。ですが。
歌詞を読むに、初対面は90年頃と推測。
オザケンはメジャーデビューしつつも大学生(東大だが)、
一方、89年に「pink」を上梓した岡崎京子は
この一作で「漫画ブリッコ」出身者や
内田春菊・原律子らを含めた
「少女漫画を描かない女性漫画家」群から頭ひとつ、いえ
何馬身もの差をつけて、時代の先頭に躍り出ていました。
よく「大友克洋以前・以後」という表現がありますが
女性漫画家では、それは岡崎京子なのではないかな、と。
作画ではなく、女性像の描写の部分で
(作家では林真理子だと思っていますが余談につき割愛)。
つまり存在が衝撃的すぎて大量のフォロワーが出たため
後世になると「オリジナルであることの革新性」が
却って伝わりづらくなるという例のやつです。
「学生vs.社会人」だったことに加えて
89年以降のオカキョンは、サブカル系近辺に絶大な影響力を
もった人でした。「pink」→「リバーズ・エッジ」の流れを
平成生まれの人に説明するなら
「ハチミツとクローバー」→「3月のライオン」的な。
21世紀生まれの人に説明するなら
「かくかくしかじか」→「東京タラレバ娘」的な。
(作風は似てません念のため)。
自分はオザケンと同い年なので、おこがましさを
承知で言えば「オカキョンさんSUGEE」感は
近いものを共有できてるんじゃないかと思っています。

そんなにも、折々にオカキョンさんが登場する。
確か「ひふみよ」ライブで青木さんの名前を挙げていました。
かつて身近にいた年上の友人を喪ったことのダメージが
あるからこそ、岡崎さんがかけがえのない存在になっている、
ということもあるんじゃないかな。。
あと、漫画と歌というツールや、展開する世界観の違いはあれど、
画角の取り方が一部、似ているところがあるのではないでしょうか。
「DOLPHIN SONG」「ローラースケート・パーク」などに見る
「ほんとのこと」「嘘っぱち」
「ありとあらゆる種類の言葉」という表現。
「リバーズ・エッジ」では物語の終盤、主人公のハルナが
「どうして私たちは放課後、あんなにおしゃべりばかり
していたんだろう。それはきっと…」と振り返ります。
初対面の時の言葉に、小沢さんは心を射抜かれていました。
だから、30年近く経っていても「歌詞」に引用するのです。

パーフリ時代の2人は、本業は知らず、プロモ場面などでは
相当なクソガキだったようです。大宅文庫で当時の
雑誌インタビューを読みましたが、自分だったら
絶対に記事を担当したくありません。それがいつの間にか
過去の不用意な発言で、消えない刻印が刻まれた元相方に比べ
対タモさんへの言動や、家族愛の連呼で
「きれいなジャイアン化」が著しい昨今のオザケンでした。
ですが、今回の詞は黒いというか、露悪的なところをチラ見せ!
(ただし自分自身を黒くは晒さないのもまた「らしい」というか)。
そこに、喪われたかと思っていたパーフリっぽさを勝手に感じます。

燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」が
今年の象徴ですが、ついに、今までは地続きのように思えた
90年代が「懐古すべき時代」というフェーズに移行しました。
オザケンは戻ってきたけど安室ちゃんは引退、平成終了…
95年の神戸震災、オウム、エヴァで持ちきりの
「世紀末感」に似た様相が、今の空気。
そして一度終わらせたからこそ、
今また戻ってこられた感のあるオザケン。
マーケットが縮小・分散化したとはいえ、この年齢で
ノンタイアップのシングルで、オリコンウイークリー2位
という結果はさすがです。これだけブランクを空けての
トップ10ランク入りの実績を出せた歌手は、ポップス系では
他にいない様子。演歌では数名います。でも彼らは
「長い休業」はしてないです。オザケンのすごさは、
活動していなくても、むしろ時代を経て、
より多くのファンを獲得した「普遍性」にあるのだと思います。
「リバーズ・エッジ」(94年)に話を戻すと
「なぜ今、映画化なの?」のリアクションも多数見られますが
今が映画化のラストチャンスだったかも、というのが
実際のような気がしています。

行定監督はオザケンとタメなので
「同学年ですごいヤツが、もう世に出ている」という意識は
あったんじゃないかと思います。
同い年ということで言うと、月刊カドカワ91年2月号
「尾崎豊特集」目当てで買った中に「鷺沢萠スペシャル」があり
そして「フリッパーズギター」の記事があったと記憶します。
彼らの名前を知ったのは、ここが初でした。あんまり早くない。
「ねるとん」のCMソングの人たちだ、みたいな。
で、鷺沢萠が68年生まれですね。62年生まれの山本文緒が
後にエッセイで書いていましたが、初掲載の際(30歳ごろ)
「あの月刊カドカワに自分の文が載るなんて」と、相当感激した
ことを回想しています。
その媒体に、22歳でスペシャル記事を組んでもらっていた、
当時「吉本ばななと並び、芥川賞に最も近い女性作家」と
言われていた鷺沢さん。既に十三回忌を過ぎました。
時の流れの早さに、言葉もありません。

…しかしアレですね、「結局、招待客しか入れなかったイベント」だの
「整理券を入手しても、3時間待ちで会場に入れた頃には
お目当ての物販は完売済み」だの、楽曲に関係ない部分で
「んー?」と思うことが続いたため、本末転倒と知りつつ
今年の2曲はまだちゃんと聴いていません。
そして、もともと90年ごろの自分は
「リバーズ・エッジ」のキャラならルミちんの姉(牛乳好き)が
自分の属性にドンピシャ。パーフリからの小沢小山田ファン=
オリーブ少女、という図式にはそもそも1ミリもかすりません。
さらに「ひふみよ」ライブ以来、新作チェックも怠っている有様。
「キレイなオザケンは、私にはますます遠い人だなー」と思っていたのに
「リバーズ・エッジ」と合わせ技にされたら
これだけの長文を書かずにいられない自分に一番驚きました。
新作歌詞に戻ると「目が見えない」のは誰でしょう。
数々のシーンで「フリッパーズギター」再結成願望を
作中キャラに叫ばせていた岡崎さん。
歌詞冒頭に「汚れた川」、終盤で「汚れた川、再生の海」。
この辺だけが作品世界に合っていて、他の部分は私信ですよね。
再結成はできず、「共演」もこれが限界。それでも、
主題歌によせて、小沢さんが「古い友」を語りました。
ソロデビューのお披露目が日比谷野音、なんで? と
思っていましたが、歌詞内の補助線で、2人の間に
何らかのエピソードがあることがわかります。そして下北沢。
川、海、噴水、涙、茹で汁。人が為すこと、そして生命を維持する
「茹で汁」にこそ「永遠」の単語を付与するのが、今の小沢さん。
「手をつないで、光の差す方向に向かって歩く」という光景に
個人的には「戦場のボーイズライフ」(95年)を連想しました。
すぐ乾くはずの涙はまた流れて、それでも歩くしかない。
主題歌が発表され、改元日程が確定した2017年12月1日に、
そんなことを思いました。この項終わり。